工学部機械工学科卒業という経歴を持ち、現在は電通で「コミュニケーション・プランナー」として、これまでにない新しい企業コミュニケーションの形を模索する廣田周作さんもその一人。2013年7月には著書『SHARED VISION―相手を大切にすることからはじめるコミュニケーション』を刊行するなど、企業と消費者がフラットにつながる今の時代のコミュニケーションのあり方を自身の実践をもとに発信しています。
この連載では毎回、廣田さんが広告業界に限らず、そんな新しい働き方を見つけ、実践する方に話を聞きに行きます。
対談企画「仕事の創り方を変えよう!」
博報堂DYメディアパートナーズi-メディア局
森永真弓氏
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電通 プラットフォーム・ビジネス局 開発部 コミュニケーション・プランナー
廣田周作氏(『SHARED VISION―相手を大切にすることからはじめるコミュニケーション』著者)
【前回記事】 「組織に属しながら自由に働く人の仕事術」(後編)はこちら
インターネットとの出合いが原点
廣田:インターネットの浸透以降、広告業界も、デジタルシフトやソーシャルシフトが進んでいます。企業のコミュニケーション戦略も、従来のようにマスで一発ドカンと当てることを狙うよりも、インタラクティブメディア、ソーシャルメディアを利用して生活者とリアルタイムに親密なコミュニケーションをとることが増えていると感じています。
こうした時代の変化に合わせて、広告会社とクライアントの関係も変化していますし、会社も人材育成の方針を変えています。今は、その変化のスピードがますます早まっているように感じています。
しかし、もちろん、これは広告業界に限った話ではありません。あらゆる所で、デジタルシフトが起こり、多くの人の仕事のあり方を変えていると思います。
これまでの対談では、広告業界の外にいる人たちにお話を伺って、僕らにとって、これからの働き方のヒントを探ってきたんですね。魅力的な仕事をされている方は、いくつかの専門領域を横断して、それらを掛け合わせることで、新しい価値をつくっているのだなということを知りました。
今回、森永さんとお話しさせていただきたいなと思ったのは、同じ広告業界でもとても魅力的な仕事をされていると思ったからです。というのも、僕が付き合っているクライアントから「森永さんの話は面白い」とよく名前が挙がるんですね(笑)。どんな方なんだろう?と思っていたんです。
森永:なんだか嫌な汗が出てきたんですけど…大丈夫かな(笑)。
廣田:森永さんはツイッターもご自身で利用されていて、面白い発信をたくさんされています。そこで僕が感じるのは、広告会社の社員でありがちですが、自分はソーシャルはいじらないのに、それをさも知っているかのように語っちゃう人とは全く違って、まず、ご自身でもコミュニケーションを楽しみつつ、素のままの自分を出しながら仕事をされているな、ということです。
そんな森永さんの働き方についてお伺いしたいなと思っています。あとは、せっかく電通と博報堂で集まったということもあるので、今後、企業の垣根を越えて、こういうことができるといいですね、みたいな話もできればと思います。
まずは、プロフィール、どういう経歴で今に至るのか教えていただけますか。
森永:ええと、大学は千葉大学の工学部、工業意匠学科(現:デザイン学科)で工業デザインを学びました。入学が1995年なのですが、5月にネットスケープ、12月にウィンドウズ95が出たという、まさに「インターネット元年」的な年でした。
そこでインターネットに触れてからずっと面白いと感じていて、学生が自由にインターネットができる環境に恵まれたこともあり、ズブズブとはまっていきました。そしてインターネットに関わる仕事は、学校で学んでいるデザイン的な思考が生かされる場面が多いように感じられたので、インターネットに関連したビジネスに関われないかと考えながら就職活動をしました。
自分のホームページを運営して面白かったという体験から、インターネットの中でもコミュニケーション部分に興味があったので、電話などの人々のコミュニケーションを支えてきた会社がいいかなぁ、などとまあ、やや学生の浅知恵と妄想で通信事業会社に入りました。
とはいえ入社して思い通りにいくわけもなく、工学部出身ということもあり技術者になりました。ただ、インフラに関する知識はインフラ企業に入らないと経験できないので、勉強になりましたし、とても貴重だったと自分の運の良さをかみしめています。
2000年を過ぎた頃からインターネット界隈が盛り上がり始めて、人材募集が増えてきたんですよね。次第にそういう情報が目に入るようになってきて、やっぱりネットに関わる仕事がしたいと思って、大学時代にデザインを学んだというところに立ち戻ってウェブデザイナーとして博報堂に入社しました。ただもう、私がウェブデザイナーだったことは社内でも忘れられていると思いますよ(笑)。
廣田:博報堂にはウェブデザイナーとしての入社だったんですね。
森永:ただ、まあ時代の流れで…電通さんもそうだと思いますが、デジタル周りの組織や人ってよく変更になりますよね?(笑)そんな流れでデザイナーからインタラクティブプランナー、そこからまたセールスプロモーションのプランナーになって、デジタルだけじゃなく、ジュースのおまけを作ったり、イベントの企画、店頭施策などいろいろやりました。
その後「博報堂買物研究所」という組織ができた時、店頭とネットの両方いけるやつと言われて「あ、なんか知らないうちに自分がそれになってるぞ」って。当時ちょうど「価格.com」や「@cosme(アットコスメ)」といった買い物にネットクチコミが影響を与える波が来始めていた時期だったので、必要だったんですね。そのタイミングでマーケティングや研究開発に携わることになっていきました。