今回の登場人物紹介
AKB48は宗教である!
澤本:今回のゲストは、批評家で社会学者の濱野智史さんです。
濱野:よろしくお願いします。濱野です。
澤本:濱野さんは『前田敦子はキリストを超えた-<宗教>としてのAKB48-』という著書を出されていますよね。
権八:すごいタイトルですね、これ笑。
濱野:これは3年ほど前に出して、炎上しました。宗教という言葉が付いていますが、これはぼくがあまりにAKB48にハマりすぎたことに由来しています。しかもハマりだしたのが2011年ぐらいからなので、そんなに前からではないんですよね。
澤本:ちょっと遅めですよね?
濱野:はい、むしろ最近です。AKB48ができたのは2005年なので、ぼくは新規というか、後からなんですけど、あまりにハマりまして。これは凄いと。気持ちが高まりすぎて、本にしたらこんなタイトルになっちゃったみたいな。そういう本です。
権八:心の高まりがよく現れたタイトルですよね笑。
中村:この本は凄くハマっている自分の視点と別のもう1人、批評家で社会学者としての立場から見た濱野智史という二部構成のようになっていますよね。ちょっと多重人格的な感じで。
濱野:まさにそうです! 自分で自分を観察して、いかにAKB48の仕組みが自分をハマらせているのかについて分析しています。普通、アイドルってほとんどの人はバカにしてるじゃないですか。
権八:「はい」って言いにくい笑。
濱野:ぼくも2011年にハマりだすまでは完璧にバカにしていました。なにCDを何枚も買ってんだ、アホかと。そんなぼくがハマったきっかけはAKB劇場です。劇場で見て、「これをずっとやっているのは凄い」と。テレビに出るわけでもなく、ずっと劇場で目の前のお客さんに向かって100%全力でやっているということが、「凄いな」と。
権八:それは“ひたむきさ”みたいなことですか? 努力というか。
濱野:うーん、なんでもいいんですよね。たとえば、アイドルって口パクが当たり前ですよね。AKB48もよく批判されていますけど、テレビに出しちゃえば本当に歌がうまくなくても、声を別に撮っておいて。口パクで歌っても、「かわいいコがいい歌をうたってる!」と言ってみんなCDを買うだろうと。
澤本:確かに、そうですね。
濱野:だからアイドルは、メディアが脚色してもバレない、“偶像”という言葉のアイドルなんです。本質的にはたいしたことないのに、崇め奉られているのがアイドル。AKB劇場へ行くと、ほぼ完璧に口パクですけど、そのかわりダンスは全力なんですよ。また、面白いことに全員が全力というわけでもないというか。
権八:そうなんですか!?
濱野:全力といっても人によって違うというか。たとえば、この子は汗っかきだとか、この子は汗をかかないけど髪は振り乱しているタイプだとか。つまり、テレビみたいに都合のいいところだけ抜くわけではないので凄い情報量になるんですよ。
澤本:なるほど。
濱野:しかも250人しか入らないから凄く狭い。そして、ステージまでの距離が近い。物凄い情報量で、それを2時間みっちりやる。そうすると、嫌でも誰か1人を好きになっちゃうんです。AKB48の場合は1チーム16人なので、目の前に16人の女の子がワラワラ出てきて踊られると、はじめは興味なくても「あれ、この子は意外といいんじゃないか?」と。それでドルオタ(アイドルオタク)用語でいう“推しメン”が決まるわけです。あ、推しメンというのは、推しているメンバーという意味なんですけど。
権八:はい、それなりにわかります笑。
濱野:それが「凄いなぁ」と思って。で、いざ一回ハマっちゃうと、もう自分のほぼ全人生が推している子を中心にまわりはじめていく。
一同:えー(驚き)。
濱野:というか、そうでないとやり切れないというか、なんて言うんだろう…。納得いかないというか。むこうも本気でやっているんだからこっちも本気でやろうみたいな。よくわからない義務感に駆られていく笑。
一同:爆笑
濱野:これって宗教っぽいと思うんですよ。それでぼくはハマってしまい、今度は自分でもアイドルをプロデュースしようというか、つくり出してしまおうということを去年からはじめている、という流れなんです。社会学者で批評家なのに、アイドルを自分でプロデュースしはじめちゃったという。
澤本:そこですよ。問題は、そこですよ。