【前回のコラム】「カスタマージャーニーは大事?マーケターが知っておくべき「消費者体験の3つの変化」」はこちら
差別化とはポジショニングからはじまる競争戦略
私が広告会社に勤めていたときにもっとも衝撃を受けた本は、ジャック・トラウトとアル・ライズの著書『ポジショニング』でした。マーケティングが実はインサイトに着目した「マインドの戦い」であるということは、今でこそブランド論や消費者心理学、行動経済学的にも生かされていますが、読んだ当時はとても新鮮だったことを覚えています。
このポジショニングという考え方は、基本的には競争戦略です。消費者はブランド側が思い込んでいるほど素直にマーケティングメッセージを理解しておらず、市場(消費者のマインド)の中での位置づけでブランドを捉えている、という認識です。デヴィッド・アーカーならば「知覚品質」という呼び方をするでしょうが、ここで大事なのはポジショニングとは単独ではなく、あくまで他社との関係において存在するということです。ブランドは何もない真空からつくり出されるのではなく、「他との関係=差異」によって成り立っているという考え方です。
その後のトラウトの著作には『Differentiate or Die』(邦訳は『独自性の発見』)があります。「差別化できなければ死ぬだけ」という意味です。差別化こそがマーケティングが提供すべきコアな価値であり、消費者がブランドを認識するには「差別化」しなければ存在しないのと同じと言うわけですが、これは先ほどのポジショニングの考え方とほとんど変わっていません。
とはいえ、差別化というのは、「広告コミュニケーション」には必須のように思えます。それはポジショニングの考え方に沿って言えば、消費者のマインドの中の固定された競争軸において、差異を考えることと同じだからです。逆に言えば、既知の市場の競合を踏み台として、「違う」と感じさせることが差別化になります。
ただ、ここにマーケターが陥りがちなワナもあります。たとえば、既存の製品に新しいターゲットを設定して、男性のためのスニーカーを、女性のためのスニーカーに差別化することが考えられます。しかし、同時に女性のためのスニーカーを考えることで、スニーカーの持っていた本来の価値を否定してしまっては(たとえば女性を意識してくハイヒールに近いデザインにしたスニーカーは、本来のスニーカーの価値である履き心地が悪くなってしまうなど)、そもそもスニーカーである意味がなくなってしまうことが起きます。
したがって、差別化というフレーム自体が、競合の持つ本質的な価値をかえって強固にしてしまう可能性もあります。「違っていること」ばかりにこだわると、その多くは消費者が気にしないほどの微小な差異(女性のための抗菌機能のついたスニーカーなど)になるか、市場の小さなニッチな部分(外反母趾のためのスニーカーなど)を狙っているだけになってしまいます。