コピーは「ぱっと見」で決まる!(ゲスト:秋山晶さん)【後編】

【前回コラム】「秋山さん、コピーはどうすれば上達しますか?(ゲスト:秋山晶さん)【前編】」はこちら

秋山さんが40歳を過ぎてから急にたくさんのコピーを書くようになった理由とは? コピーと世界観は同時に頭の中に浮かんでいる? ボディコピーは英語で考える? など、秋山さん流のコピーの思考法に触れた貴重な放映回。前編に引き続き、お届けします。

今回の登場人物紹介

左から、権八成裕(すぐおわパーソナリティ)、秋山晶(ライトパブリシティ)、澤本嘉光(すぐおわパーソナリティ)、中村洋基(すぐおわレギュラーゲスト)。

※本記事は6月19日放映分の内容をダイジェスト収録したものです。

2つの名コピーはこうして生まれた

中村:先週に引き続き、ライトパブリシティCEO、コピーライターの秋山晶さんをお迎えしています。早速ですが、秋山さんの中で思い出に残っているコピー、または、ご自分のコピーでこれはベストだなと思うコピーはありますか?

秋山:言葉を中村さんに返すようで悪いけど、いいも悪いもないんですよ。コピーはコピーにしか過ぎなくて、絵画でも彫刻でもない。思い出に残っているコピーは、トロピカルサントリーの「夏はハタチで止まっている。」というものですね。夏の想い、ため息。ため息というより、人間の熱気かな。それから、「夏=良い思い出」だとか。そういう風に引っ張りたいなと思いました。最初は、「夏は19で止まっている。」というコピーを書きました。

澤本:最初は19だったんですね。

秋山:結構いいなぁと思って。クライアントも喜んでくれて。でも、2、3日経ってから、「実はすごくマズいんですよ」と。「お酒は二十歳を過ぎてから、と言っているので、すみませんがハタチにさせてもらえませんか?」と。そう言うんで・・・。要するに人の感情の起伏は、全く無視しているんですよね。

一同:

秋山:19歳と20歳だと人間は違ってしまうんですよ。どうしても周りが違う人にしてしまう。本人が変わりたくなくてもね。みんな嫌々ながらハタチになるんですよ。そういうところで19歳と出したのだけど。それがとても記憶に残っています。一生忘れないですね(笑)。何十年も前だけど。

権八:僕は「ふつうの17歳なんか、ひとりもいない。」(KDDI)というコピーに当時すごくショックを受けました。これも2000年頃ですね。うわー!と思ったコピーでした。これはどうやって生まれたんでしょうか?

秋山:箭内道彦さんがクリエイティブディレクターでした。彼が1人で来て、「コピーをお願いしたい」と言われて、そのときに初めて彼に会ったんですよね。僕は箭内さんのL’Arc-en-Cielの新聞広告を見て、本当にすごいと思っていて、周りの人に「箭内さんってどんな人?」と聞いたら、「3年浪人して藝大に入った人です」と。

権八:それだけ言われちゃうのも(笑)。

秋山:クリエイティブディレクターだけど、いつも1人でやっていて、あまり会社にいたこともありませんと。そういう人だったらいいんじゃないかと思って。何よりL’Arc-en-Cielの新聞広告が素晴らしかった。それが線画の広告で、「絵がうまいな」と言ったら、誰かが「3年浪人したけど、藝大入試でデッサン一番だったそうです」と教えてくれたんです。

権八:へー、箭内さん、そういう印象ないですね(笑)。

秋山:17歳というのは箭内さんが考えたんです。「17歳を応援するようなコピーを書いてください」と確かおっしゃいました。「頑張れ17歳」みたいな、そういうコンセプトで、17歳の子をオーディションとかじゃなくて街で見つけて、高橋恭司さんに撮ってもらいますと。それを聞いて、ともかく17歳の人が「あぁ、いいことを言っている商品だな」と思えばいいんじゃないかなと思って、それで「ふつうの17歳なんか、ひとりもいない。」と。

権八:これを見たとき、その通りだとハッとしました。当たり前と言えば当たり前ですが、誰もそうは言ってくれないというかね。当時、確か17歳という年齢が脚光を浴びていたんですよ。キレやすい10代とか、すぐ刃物を出して何かしちゃうとか。だから余計、そういう「デリケートな時期で扱いにくいんでしょ」みたいな感じのところにグサッと突き刺さったコピーだったと記憶しております。

次ページ 「コピーを考える前に「誰がデザインするか」を考える」へ続く

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