A
「麻薬中毒患者の幻覚のようなこの絵を見て、みんなり笑わずにはいられなかった。絵の印象を端的に言えば、この画家は妄想に打ち震えながら絵を描く狂気の画家だ」
B
「昔からよくあるうまくつくられたニセモノ」
C
「コンサート開始15分ほどで、観客の私語が聞こえはじめ、床を踏み鳴らすような音がかすかに聞こえてきた。それはやがて演奏よりもはるかに大きな音となった。そのうち、その騒音に、つまり床を踏み鳴らす音と演奏とに耐えきれなくなった多くの人たちが、不快感を隠すこともなく出て行った」
D
「戦力で国を防衛するという、自衛隊の宣伝映画のようなものだ」
E
「展覧会では、この絵の前で、その稚拙さを涙を流すほど大笑いしようとする人々の行列ができた」
F
「なんだ、こんなの単なる印象じゃないか」
なかなか強烈な罵詈雑言が並んでいる。
それぞれ正体を明かすと、
Aは、フランスの美術雑誌『アルティスト』(L’artist)誌1874年5月1日号に掲載されたセザンヌの『モデルヌ・オランピア』に対して書かれた批評。この絵は、記念すべき第1回印象派展に出品されたが、セザンヌはこの頃ほぼ無名の画家だった。
Bは、1965年、『ラバー・ソウル』発売後、初めての全米ツアーを終えたビートルズに対するアメリカでの批評の一部。百万歩譲って「ラヴ・ミー・ドゥ」や「プリーズ・プリーズ・ミー」のような初期ヒット・シングルならともかく、『ラバー・ソウル』に至っても、こんな理解だったのだ。ちなみに収録曲は、「ノーウェア・マン」「ノルウェーの森」「イン・マイ・ライフ」「ミッシェル」など。『ラバー・ソウル』は6枚目のアルバム。明らかにシングルの集成ではなく、「アルバム」(もはや懐かしい名詞だけれど)と呼ぶべき状態に到達している。
この批評が掲載されたのはニューヨーク・タイムズだが、同紙はこの2年後に、手のひらを返すように、5ページにわたる「ビートルズ大特集」を組んで、ベタ褒めしている。ちなみに、ビートルズに関するこの種の「悪口→手のひら返し」は同時期、他にもたくさんあって、「ただの10代の若者たちのアイドルにすぎない。時間と共に消え去るだろう」→「ビートルズこそホンモノ」なんていうのもあったらしい。
やはりその頃、ニューズウィークは、「髪型にごまかされるな。才能なんてありっこない」と書いている。その2年後、ニューズウィークは、ビートルズを「ポップスの大詩人」とまつりあげ、手のひら返しすることになる。2年後ということは、世界中の少年少女が初期段階から適切にも熱狂し続けたのに対して、マス・メディアがビートルズを正当に評価できたのは、『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』の頃になってやっと、ということになる。
Cは、ストラヴィンスキーが作曲し、みずから指揮した『春の祭典』の初演に於ける聴衆の反応。1913年5月29日パリ・シャンゼリゼ劇場は、たいへんなスキャンダルだったらしい。この傑作が世間に受け容れられたのは、1920年。その時あまりの素晴らしさに、ココ・シャネルが30万フラン寄付したというエピソードが残っているが、正当な評価を得るまで7年かかっている。
Dは、1954年、黒澤明『七人の侍』公開当時の論調。これもひとつではなく、あちこちでこの論旨の批評があったという。東西冷戦初期でそういう時代だったとはいえ、表現物をすべてひとつのポリティカルなイデオロギーから判断することの愚かさの証明にもなっている。それにしても、これほどとんちんかんな論評もめずらしい。
Eは、アンデパンダン(インディベンデント)展における、アンリ・ルソーの作品に対する観客の反応。嘲笑することをあらかじめ決めて絵画を見るということが、そもそも想像しにくいが、あと5人で自分もやっと笑えるとか思いながら、みんな並んでいたんだろうか。なかなか不健全な光景である。
Fは、クイズ(?)としては、分かりやすすぎました。この時まだ、「印象派」という呼び方はなく、マネやルノワールなど前衛的(!)な若い画家たちの展覧会で、彼らの絵を見てあるジャーナリストが吐いたのがこの悪口。それがひとり歩きして、「印象派」という名前が生まれたという。セザンヌの『モデルヌ・オランピア』よりの前のできごとになる。
残念ながら、正当な評価が必ずしも直ちに下されるわけではない。しばしば時差がある。極端なのは、ゴッホだろう。なにしろ生前売れた絵が一枚だけというのだから。死んでからとてつもなく高く評価される。価格的にも法外なほど高く。
おおざっぱな傾向として、今までなかったもの、得体のしれない魅力を持ったものは、最初期、まず世の中の無理解に遭遇する可能性が高い。これらとんちんかんな罵詈雑言は、その証拠だ。
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