「ねとらぼ」編集記者・太田智美さんに直撃「広報じゃないと発掘できない話を!」

【前回のコラム】「ブロガーのnarumiさんに突撃!「今こそ、企業は自社サイトをメディア化するべき?」」はこちら

月刊『広報会議』の砂流恵介さんによる連載「ウェブメディアで話題!キーパーソンに会いに行く」のスピンアウトシリーズ。企業のオウンドメディアが増えた今、発信力のある個人の書き手の皆さんを「ウェブメディア・アベンジャーズ」と密かに命名しました。第二弾は「ねとらぼ」の編集記者・太田智美さんに直撃しました。

自分だけの「宝物」を記事に

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筆者と「ねとらぼ」編集記者・太田智美さん

砂流:「iPhone 6 Plus」の使い勝手を71万の大金を使って検証した記事や「Pepper」とともに生活する記事など、ヒット記事が多い太田さんですが、今まで書いたなかで、思い出深い記事を教えてください。

太田:ねとらぼで2月に書いた記事「スケスケでまるみえじゃないですか! 人によっては透明に見えるドレスを作ってみた」ですね。「人によっては透明に見えるドレス」というのを私自身が印刷した紙でつくって紹介しました。

世の中、「つくる人」がいてはじめて何かが生まれる気がしていて、「自らの手でつくれる人」に憧れています。取材をしていると、「なんで私は取材する側で、自分でつくる側の人間じゃないのだろう」って悔しく思うことがあって。私も「つくる」側の人間になりたいなと思って、プログラミングの勉強をしたり、Pepperと一緒に暮らしたり、最近ではマイクロマウスを学んでいたりするんですけど、この記事は自分が「つくる」ところに関われたのが大きいなと思っています。

あと、ねとらぼの前に所属していた「@IT」編集部時代に書いたものですが、2011年の東日本大震災が起こったときにTwitter社のエンジニアが自分の意志で日本に未開封サーバーを設置した「あの日、Twitterのくじらが出なかったもう1つの理由」(2014年1月公開)。

この話は、TwitterのPR活動を通して聞いた話ではなく、私の大学院の先生である古川享(Sam)さんが大学院主催の講演会でポロっと話した話だったんです。こういう宝物を拾ったような気持ちで書いた記事は自分の中で印象に残っています。私にとって記事を書くことは、見つけた「宝物」をタイムカプセルに入れておくような、そんな感じなんです。

現場のストーリーを発掘

太田:私は企業の広報の方を、単に「情報を提供してくれる人」だとは思っていないんです。日々、プレスリリースを送っていただいたり、分からないことを教えていただいたりするのですが、もしかしたら製品自体のことは、その製品を生み出した開発者に直接話を聞いた方が現場に近いリアルなエピソードが聞けるかもしれないですよね。

それと同じように、広報担当者は「PRのためにした仕掛け」とか、「PRするために生み出したアイデア」とか、きっと広報であるその人でしか得られないおもしろいストーリーをたくさん持っているんじゃないかって思うんです。私はそういった「広報さん自身が何を仕掛けているのか」「広報さん自身が製品やサービス開発にどう携わっていてそこにはどんなストーリーがあったのか」といったエピソードをタイムカプセルに残しておきたい。

私は大学院で学んで、「記者も広報担当も自分でものをつくれなきゃいけないし、ものをつくる人は自分で営業やPRをできなきゃいけない」みたいな考えを持つようになりました。そうなったときに広報担当の方は、誰かの代理ではなくて自分のつくったものを見せてほしい。そこを書きたいなと思っています。代理人でいてほしくないんです。

次ページ 「広報は開発者のインタビュアーにも?」へ続く

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砂流 恵介
砂流 恵介

1983年、広島県生まれ。秋葉原でPCショップ販売員の経験を得て、日本エイサーへ入社。宣伝・広報を担当する。2013年12月退社。手段を選ばないゲリラ的なPRを得意とする。

砂流 恵介

1983年、広島県生まれ。秋葉原でPCショップ販売員の経験を得て、日本エイサーへ入社。宣伝・広報を担当する。2013年12月退社。手段を選ばないゲリラ的なPRを得意とする。

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