2016年、オリンピックイヤー。
今はまだ厳しい冬の最中だが、半年後の夏には地球の裏側、ブラジルのリオデジャネイロでアスリートの熱き祭典が繰り広げられる。オリンピックについては賛否両論や様々なすったもんだはあっても、スポーツがもたらす感動はやはり何事にも代えがたい体験だ。
ちょうど干支がひとまわり、今から12年前の2004年。アテネオリンピックを覚えているだろうか。柔道の野村忠宏が前人未到の3連覇を達成し、体操では男子団体総合で28年ぶりに金メダルを獲得した大会だ。
なんて名言も生まれた。(ゆずの「栄光の架け橋」がテーマソングでした。)
数々の感動の名場面、つい最近の出来事のよう感じている人も多いのではないだろうか。
ちょうど同じこの年、Facebookがハーバード大学の学生寮でひっそりと誕生した。日本ではMixiが大流行し、GoogleがGmailを発表した。(当時は招待制のGmailのアカウントを持っているのがクールだった。)イチローが262本のヒットを打ったのもこの年だし、北朝鮮から拉致被害者が帰国したのもこの年だ。個人的だが、その年に産声をあげた僕の甥っ子はこの春、中学生になる。
過去を振り返ると、12年とは長い年月のようで、しかしあっという間の出来事に思える。
なぜ突然こんなことを語るかというと、僕が日本を離れアメリカに来たのも、ちょうど12年前の2004年なのだ。気がつけば干支がぐるっとひとまわりの月日が経っていた。35年間の人生の3分の1を、異国の地アメリカで過ごした計算になる。当初と比べればマシになったとはいえ、未だに英語は苦手だし(日本語も得意とは言えないが)、幼稚園に行く息子の同級生が話していることが聞き取れず、笑顔で誤魔化すことはしょっちゅうだ。(英語の一番の教材は子供と話すことだと思う。スピードは早いし、発音もすぐ直されるし、大人と違って気遣いがない。子供は容赦ないですよ、ほんとに。)
とはいえ、現実に青年だった僕はこの12年間をアメリカで(なんとかやり)過ごし、立派な中年にさしかかっている。仕事場では日本人は僕一人だし、不慣れな英語を言い訳にはしていられない。仕事での経験が増えるに従って、実際に手を動かすことよりも言葉を使った仕事の量も増えてきた。文章を書くエキスパートのコピーライターが考えた英語のコピーに、いちゃもんを付けることもある。(いちゃもんというと響きが悪いけど、一応建設的なフィードバックです。でも逆の立場を想像すると恐ろしい。「チョット、イッテルコト、ワカリヅライヨ。」なんて自信満々に言ってる自分は、想像しない方が身のためだ。みんな寛容でいてくれてほんとうにありがたい。)最近はお腹も少し出てきた。お腹は嘘をつかない。
薄っぺらのボストンバックを片手に(と言うと響きはいいけど、実際はスーツケースをゴロゴロ)右も左も分からずロサンゼルス空港へ降り立った22歳の夏。授業で出された課題がなんなのかさえ聞き取れず、「栄光の架け橋」をWinamp(懐かしい!)で聴きながら自分を励まし続けた学生寮での慣れない海外生活。今となってはいい思い出だが、まさに四苦八苦の毎日だった。
なんとか当初の目的である大学院を卒業した。就職し、恋愛し、結婚し、人の夫となり、人の親となり、小さいながらも我が家も構えた。スーツケースにすべて収まっていた荷物は、いつのまにか大型トラック1台でも持て余すほどになった。
自分一人だった人生は、いつのまにか4人+2匹になった。
When you’re younger: Do More. Think Less.
When you’re older: Do Less. Think More.
これは尊敬するデザイナーJohn Maedaの言葉だが、僕はこの12年(それが意図していたものでないにせよ)文字通り無我夢中で周りを見る余裕もほとんどなかった。ぽんこつのエンジンを背負った飛行機は、一度立ち止まると動力を失って落ちてしまう。エンジンが壊れないようにと、なんとかごまかしながら、それでもフラフラと飛んできた。ふと頭をあげてみると、少しは遠くが見渡せるところまで来れた気がする。
ここまでなんとか来れたのも色々な方の支えがあったからだ。新芽と思ってしがみついてきた枝には、いつの間にか新しいつぼみがたくさん実っている。
これからの12年は、今まで周りの方の支えによって培うことができた自分の体験や経験を、あらためて咀嚼しなおし、拙いながらも言葉にすることで今度は伝える側の人間になっていきたいと思う。
というわけで前置きがながくなりましたが、今回このコラムを担当させていただくことになりました川島 高(かわしま たかし)です。はじめまして!
日本生まれ、日本育ち。アートや表現とは縁のない少年時代を過ごしたのちに、ひょんなことからアメリカへ渡り、AKQAなどの広告代理店での勤務を経て、現在はクリエイティブを専門分野に、奇人・変人・天才(と、僕のような一部の凡人)が集まるGoogleにて働いています。
この連載を通じ、なぜ美術や英語とはまるで縁のなかった日本男児がアメリカへ渡り、今の職にたどり着いたのか。僕が経験したアメリカ西海岸での暮らし、そして自分の職業であるデザインや自分が身を置くシリコンバレー業界などを中心に、自分の体験・経験・考えていることを紹介していきたいと思っています。
これから隔週で半年間連載をもたせていただきます。こんなことが聞きたい!なんてことがあったらお気軽にご連絡をください。ちょっと日本文化に浦島太郎な私です。拙いこともあると思いますが、どうか寛容な目でお付き合いいただければ幸いです。
*第一回目のコラムは著者のブログの一部を加筆、修正したものです。