【前回】「石川善樹×ドミニク・チェン×水口哲也×山川宏×日塔史「人工知能は『アル』から『イル』へ。」【前編】」はこちら
人間の欲望をよく知ればAIがもたらす「幸せ」も見えてくる
ドミニク:僕の奥さんは料理が好きなんですけど、仕事が忙し過ぎてなかなか自分で料理をする時間を持てないんです。彼女に石川チームのシェフロボットを与えたら、はたして喜ぶだろうか? と、さっきから考えているんですよね。たぶん労働から解放される点はメリットとして映るかもしれないけれど、新しいものを創造するプロセスは自分でやりたいと言うだろうなと思って。(※ 後日聞いたら、案の定、「料理をするという私の癒やしの時間を奪わないでほしい!」と一喝されました(笑))
水口:何が幸せなのかという議論はありますよね。大金持ちが毎日自分の好きなものばかり食べられたら幸せかというと、そうでもないかもしれない。「おいしいものを食べたい」という欲求を因数分解すると、ただおいしいものを食べられればいいだけではないかもしれない。
ドミニク: AI研究の本をいろいろ読んでいてどうも納得できないなと思うポイントは、人間の欲望がどう設計されているかが見えないところです。例えば、発酵食品は発酵と腐敗が表裏一体となった食べ物ですよね。下手をすると危険な食品だともいえる。でも、そういうリスクテイクをした分だけ、人は快感を得ているんじゃないかと思うんです。
水口:たぶん、人が喜ぶシェフロボットって、料理のうまさだけじゃないんですよ。例えば、ロボットが料理のポイントをいろいろ教えてくれて、「あなたにもできますよ」と作るのをサポートしてくれる。そんなロボットだったら人を幸せにするんじゃないかな。
ドミニク:まさに、発酵食品作りに携わっている人たちに「どういう情報技術が欲しいですか」とヒアリングした時に、同じようなことを異口同音におっしゃっていました。行為の主体は人間のままで、技術が人間の学習をさりげなく支援することで、料理上手や「通」な人が増えるのは「幸せ」そうです。
日塔:人工知能のチャットボットみたいなものを開発していくと、AI自身が感情を持っているいないにかかわらず、人間側に強い感情が生まれるということも考えられると思います。恋愛シミュレーションゲームでハマりすぎてしまうのにも似ていますが、こうした問題についてはどう考えますか?
水口:映画『ブレードランナー』で人造人間と人間の区別がつかなくなる世界が描かれたように、AIの未来は悲観的な見方をされることが多いと思います。けれど、実際の未来はそうでもない。 AIが人を幸せにしたり豊かにしたりするパターンはまだ語られていないけれど、ポジティブ版「ブレードランナー」はあると思います。
石川:感情の研究でホワイトヘッドという鳥を使うんですが、さえずりをリアルなお師匠さんの鳥から直接習った場合と、録音した声で聞かせた場合を比べると、伝わっている情報は同じでも、生で教わった方が学習効果は高いそうです。デジタルにした瞬間に何かが抜け落ちている。それが感情を考えるヒントになるのではないかといわれています。
山川:保育園でロボットと子どもにゲームをさせる実験でも、ロボットを素人が操作するのと、保育士さんが操作するのでは子どもの没頭度合が違うそうです。保育士さんは、子どもの様子を見ながら細かく問題の難度を調整したりできるんでしょうね。
水口:ゲームやVR、AIの開発って、人間の内面的なものを「量子化」して再構築するような作業なんじゃないかと、皆さんの話を聞いて思えてきました。後の時代から振り返ると、インターネットは物事を量子化したといわれるのかもしれませんね。