【前回記事】「コルク代表・佐渡島庸平さんに聞く!今の世の中とマンガとメディアと広告の話。」はこちら
吉良:いま報道記事やニュースは0円で読めてしまう。広告も見る側からすると0円。まったく同じです。その中で雑誌は報道価値を見出しながら、お金を出して読みたい人を探してきました。佐々木さんはまさに雑誌の世界にいましたよね。その紙人間が東洋経済オンラインに異動して実績を上げ、そこからNewsPicksに移籍した。おそらくiPhoneの発売などに触発されたんだと思いますが、なぜそういった選択をしたのでしょうか。そして、これからグノシーやアンテナ、NewsPicksなどのキュレーションメディアはどこに向かっていくと思いますか?
佐々木:私が東洋経済オンラインの編集長に就任したのが、2012年11月です。その前は10年近く雑誌の記者や編集の仕事をしてきましたが、2010年~2011年くらいから雑誌の衰退が加速する、というか、「メディア」としての賞味期限が切れ始めたという感じがしてきました。
最初に、「メディア」の価値が大きく変わったのはやっぱり1995年のYahoo!登場がきっかけだと思っています。新聞社がYahoo!にコンテンツ提供を始めたところが、大きなターニングポイントだと思っています。あの時に新聞社が、あそこまでコンテンツを無料で出さなければ、ウェブではニュースを無料で見られるという流れは、ここまで拡がらなかったのではないか、という気がしています。
雑誌よりも新聞がまず「Webの記事は無料」という大きい流れをつくり、ニュースポータルとしてYahoo!を巨大な存在に育ててしまった。Yahoo!が嫌いな訳ではなく(笑)、客観的な事実として、ニュースの流通をほぼ独占する巨大プラットフォームを産んでしまった。ウェブの時代になって、Yahoo!しか儲からない構造ができてしまったがゆえに、「ウェブに力を入れても儲からない。採算が合わない」ということで、伝統的なメディアのデジタルシフトが、たとえば米国に比べて大きく遅れてしまったのではないでしょうか。
吉良:なるほど。紙媒体からオンラインに移るときに、勝算はありましたか?
佐々木:雑誌にはこのままでは未来がないかもしれない、と思っていたので、オンラインを早めにやりたいと思っていました。そこで、オンラインの編集長をやりたいと思い自ら志願して異動したのですが、当たり前のことを地道にやれば、勝算はあると考えていました。
たとえば、それまでは、紙のコンテンツの転載が中心で、オンライン専用の記事を作成することはあまりありませんでしたが、思い切ってWeb用のオリジナルコンテンツを拡大しました。そして、Yahoo!への配信やほかのポータルへの配信を一気に増やしました。読者ターゲットという点でも、それまでは若い人向けの経済メディアが存在していなかったので、そこに絞りました。30代のビジネスパーソンが求めるものをつくれば、そこはブルーオーシャンですから、出せば当たるだろうという期待はありました。