【前回コラム】「箭内さん!どうして「無茶振り」が好きなんですか?」はこちら
—箭内さんって、どこで洋服を買っているんですか?
笑。ずっと聞かれ続けている質問ですね。古くは『広告批評』の2代目編集長だった島森路子さんにも聞かれました。買うお店は決まっていません。だから、ピンク色とか、派手な柄の服がないかなって、探すのが大変なんですよ。どこかのお店に行けばそこに必ずある、というものではないので、いつも苦労します。
—全身ピンク、全身ヒョウ柄など、とにかく派手ですよね。購入基準は何なんですか?
まず派手であることと、結果的に他の人があまり着ていないもの。というか、皆があまり着たくないもの(笑)。強烈な色や形や柄を使っていることですかね。でもそういうのって、売っても売れないから(笑)、あんまり売ってないんですよ。見つけるのが大変だから、たまたまいい服を見つけたときは、色違いで3着買うこともあります。
「自分が買わなかったら、誰も買わないんじゃないか」という変な使命感も湧いて。ただ、僕は同じ服を着ている人に出会ってしまうと、もうその服は着たくなくなってしまうんです。
服ではないけど、昔、オレンジ色の車に乗っていたときに、坂の上で同じ車とすれ違って、その車を運転していた外国人のドライバーが僕に手を振ったんです。それでもう嫌になっちゃって、その後、その車をすぐに売ってしまいました。たぶん、あまのじゃくなんだと思います。
他の人と同じものが嫌なのは、自信がないからだと思います。坊主頭の人を見ると、自信があるんだなって感じるんですよね。
坊主にしても成立する“自分”っていうものを持っていないと、坊主にはできないですよ。真っ白いTシャツとかもそう。僕はそうではなくて、本来の自分にないものを鎧のように纏って、戦闘態勢に入っているような部分があります。僕にとって洋服は、競馬のジョッキーや競輪選手にとっての勝負服に近い感覚なのだと思います。
—幼い頃から、そこまで派手だったわけではないですよね?
派手って、エスカレートしていくんですよ。メイクがどんどん濃くなっていったり、プチ整形を重ねていくのと、たぶん一緒です。感覚が麻痺してきて、派手な服にさらに派手なものをどんどん上書きしていくようになるんです。僕は“クリエイティブ整形”と呼んでいるのですが、派手なものを着ていると、目が醒めるようだったり、自分が強くなったり、元気になる気がします。
自分の感覚ではすごく似ていると思っている、大好きな八木重吉さんの詩があるのですが、花束を持って家に帰るときって、持った手の平から力がみなぎってくる感じがする。僕が派手な服を着るのって、そういう感じなんです。ビシッとスーツを着ると引き締まった気持ちになったり、黒い服に身を包むと大人っぽい気分になったりするのに近いんじゃないかな。
—そこまで派手な服にこだわることには、何か狙いがあるんですか?
以前、賞についての回でも言いましたけど、「格好ばっかりだね」と言われないようするためですかね。90年代後半ごろ、当時勤めていた博報堂の役員だった多田亮三さんに、「お前さぁ、着てるものじゃなく、つくるもので目立てよ」って、廊下で会うたび言われていました。「お前は格好ばっかりだな」っていうことを「その格好を上回るものをつくりなさいね」って、ポジティブに言い換えてくれてたんですよね。
僕が金髪にした理由も、同じです。金髪なのにイマイチなものをつくっていたら格好悪いし、他人に「そんなに派手な格好をしているのに、つくるものはこんなにショボいんですね…」なんて思われたくない。だからこそ、「いいものつくらなきゃ」って思える。昔、散々そうやって自分を奮い立たせていたので、今はその名残りもあるんじゃないですかね。