過去、本連載で「現在のメディアとメディアを取り巻くビジネスの、ある種のモラルハザードが極まった構図」について警鐘を鳴らした(記事:「米国大統領選を動かした?“フェイク(偽)ニュース”とメディアはどう戦うのか」)。
それは、2016年の米国大統領選が私たちに突きつけた、フェイクニュースがビジネスになるという現実だった。もう少し具体的にいえば、次のような現実だ。
構図とは、フェイクニュースがカネの成る木とばかりに、せっせと刺激的な見出しの記事を量産する若者がいたとして、その若者らが量産した記事を、その刺激を求める数多くの人々に届け続けるFacebookをはじめとするソーシャルメディアがあり、そして、集まった人々に向けて、広告を自動的に配信し続けたGoogle AdSenseなどがあったというものだ。(同上記事)
まさにフェイクニュースが“フェイクビジネス”となるには、そこに資金を供給するアンチ・モラルな存在、すなわち広告主、そして広告配信事業者が必要だったわけだ。
筆者は、モラルを逸脱する広告取引を正義感からだけで指弾したいわけではない。むしろ、これをメディアと広告、さらにはテクノロジーをめぐっての既成概念を問い直す機会とすべきだととらえる。本稿では、その点について論じてみよう。
社会的な責任を免れない広告取引
まず、モラルハザードの構図が、その後どのような展開を見たか、確認しておこう。ブログ「新聞紙学的」が、それを手際よくまとめている。
今回の騒動の一つのきっかけになったのは、3月17日に英タイムズが配信した記事「納税者は過激主義に資金を出している」だ。
記事は、白人至上主義、同性愛蔑視、反ユダヤ、レイプ擁護、といったユーチューブ上の差別的な動画に、英内務省などの政府機関やBBC、ガーディアンといったメディアの広告が掲載されている、と指摘する。
(同ブログ「グーグルからの広告引き上げ騒動、広がり続けるその背景」)
イギリス政府、公共機関、そして大手広告主を揺さぶったこの報道の影響は、アメリカにも飛び火。広告の社会的責任を問う団体(Sleeping Giants)のキャンペーンもあり、いまではTOYOTA、NISSANなども含む大手企業1800社以上(前述団体の資料)がGoogleらへの広告予算を凍結する事態に至ったのだ。
広告主らは「白人至上主義、同性愛蔑視、反ユダヤ、レイプ擁護」、あるいはIS(イスラム国)賛美のコンテンツと、自らの「企業価値観」は相容れないと、予算凍結の理由を語る。だが、それまでこのような事態を見過ごしてきた(あるいは黙認してきた)責任は軽くはない。
もちろん、GoogleもYouTubeの運営基準を厳格化したり、フェイクニュースサイトへの広告配信を厳格に運用するなどの対策をとっているが、最近にいたるまで同社幹部が、「(不適切な配信は)ごくごく少数のケース」「反Googleキャンペーンの可能性」などと、事態を軽視するような発言をしてきた責任は免れまい(「Google says its YouTube ad problem is ‘very very very small’ but it’s getting better at fixing it anyway」)。
このような無責任、モラルハザードが、結局のところ、広告主自身の「ブランドセーフティ」を脅かし、Googleらの卓越したテクノロジー企業との名声を毀損しかねない事態を招いたのだと理解できる。だが、筆者が考えたいのは、その先だ。