はじめに断っておきますが、僕は仮面ライダーマニアというわけではありません。もし自分に子どもがいなければ仮面ライダーを再び見ることなんてなかったと思います。
一視聴者であるうちの子の横で無責任に見ている、おとーさんの見立てによるものなので、マニアックなご指摘やさまざまなご意見もあろうかと思いますが、そのへんはどうか大目に見ていただきたい。
さて。そんなわけで「V3」や「アマゾン」から実に42年ぶりの仮面ライダーとの再会になったのですが、ド肝を抜かれました。そこにはあの頃とは別モノに変わり果てたライダーの姿があったのです。
「エグゼイド」という2頭身にデフォルメされたゲームキャラのような仮面ライダーには、バッタの面影すらありません。
敵はコンピューターウィルス。「改造人間」とか「死神博士」とか、今の子どもが見たらトラウマになるだろうアンダーグラウンドな設定は一切ありません。変身前の主人公はモミアゲのない理系の男子です。
大丈夫かな…?
というこちらの心配をよそに、子どもたちには大人気だそうですが、ここ至るまでにはショッカーもびっくりの壮絶なピンチとの戦いの歴史があったのです。
ウルトラマンを超えろ
70年代はじめ、ヒーロー業界においてウルトラマンは強大なブランドになっていました。
ウルトラマンを超える新しい特撮ヒーローをつくりたい、かといって派手な特撮にお金をかけられない。どこの業界も同じですが「限られた予算で最大のインパクトを」という無茶振りを、なんとかクリアしなくてはなりませんでした。
そこで考え出したアイデアが「等身大のヒーロー」だったのです。巨大化しない人間サイズのキャラ。光線技を出すには特殊な編集が必要になるため、生身の肉体を使う殺陣を基にしたアクション(必殺技「ライダーキック」はここから生まれた)。空を飛ぶ代わりにオートバイ。本格的なセットが組めないので、近所で撮影をしたところかえってリアリティが生まれ、「自分でもなれそう」と共感できる、等身大の新しいヒーローが生まれたのです。
失われた10年
どんなに素晴らしいコンセプトの新商品も、時が経てば外部環境や市場の変化によってブランド価値が低下してしまうことがあります。熱狂的に支持された仮面ライダーシリーズも、昭和の終わりころには人気に陰りが見え始めます。
大きな原因のひとつとして「宇宙刑事ギャバン」に代表される、メタルヒーローの出現がありました。近未来的なルックスと、「変身」に変わる「蒸着」という斬新なフレーズで、新時代のヒーローとして仮面ライダーを食ってしまうほどの人気になっていったのです。
同じ東映ヒーローでも、「スーパー戦隊シリーズ」はコンセプトの違いから住み分けができていたのですが、仮面ライダーには自社の商品が自社のほかの商品を侵食してしまう、いわゆる「共食い」現象が起きてしまったのです。
メタルヒーローに顧客を奪われる形で仮面ライダーは終了し、以降10年の空白期間に入ります。この失われた10年は、のちに大きなマーケティング上の障壁になります。