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eggとの出会いは小学生時代
—創刊号は1995年発売。赤荻さんは当時まだ生まれていませんよね。一般的な「egg世代」よりは若い世代かと思いますが、なぜ「編集長になりたい」と思ったのでしょうか。
私、eggがほんっっとに大好きなんです。だから2017年末、元々所属していた広告制作会社の社長から「復刊させる」という話を聞いたとき、「私に編集長をやらせてください」と手を挙げました。
編集経験はまったくないし、社会人経験も浅いんですけど「失敗してもいいからこのチャンスは逃したくない」と思って「21歳だからこそ、リアルなギャル事情が分かります!」とアピールしたんです。その熱意を買ってもらい、2018年3月の「web egg」創刊と同時に、編集長を任せていただけることになりました(エムアールエーも同時に設立)。
「egg世代」というと、一般的なイメージでは1990年代後半~2000年代に中学・高校時代を過ごした世代のことかもしれませんが、私のeggとの出会いは小学生のころなんで、リアルタイムで読んでたんですよね。当時はお小遣いも少ないので友だちと回し読みですけど、とにかく毎号楽しみで、隅から隅まで読んでましたね。
渋谷に出てくるきっかけもeggでした。私にとってeggはファッション誌というよりも「カルチャー誌」だったので、ギャルのカルチャーを生み出す街・渋谷にはものすごく憧れていたんです。当時は渋谷から電車で片道1時間かかる埼玉県伊奈町に住んでいたんですが、中学生になったらほとんど毎日、渋谷の街に通うようになりました。少ない時でも“週3渋谷” って感じでしたね。
“渋谷通い”が人生の布石に
—「通う」とは、一体どんなことをしていたのですか?
ギャルサー活動です。渋谷では50ほどのギャルサーが共同主催するイベントが年に2回あるんですが、その企画と運営をしていました。どちらも1000人規模のイベントなんで、毎日企画や集客のことを考えているような感じで。高校に入るとますます活動にのめり込んでいき、「学生生活は十分楽しんだな」という思いもあって、高校は1年で中退しました。
そんな中、私が17歳になった2014年にeggが休刊になりました。自分の人生に大きな影響を与えてくれた雑誌だったので、ものすごくショックでしたね。ただ、eggのおかげで手に入れることができた「渋谷のつながり」は今も活きています。
18歳でギャルサーを卒業した後も“つながり”で広告制作会社に就職しました。当時はまさか自分がeggをつくる人になるとは思ってなかったんですが、結果的に編集長をさせていただけて。本当に今の私があるのはeggのおかげだと思っています。