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最近テレビでは、外国人から見た「ニホン」について紹介する番組が増えている気がします。2020年の東京オリンピックに向けて観光客が増加する中、「第三者の視点」を借りることで見えてくる「ニホンの特徴」を私たち日本人が知りたいと思っているからかもしれません。「文化」は相対化されることで他者との違いが明確になるように、「言葉」も比較をすることで気づけることがたくさんあります。外国人の目を通して見る「ニホンゴ」は、果たしてどのような姿をしているのでしょうか。
外国語としての「ニホンゴ」
基本的に日本以外の国では通用しない日本語の学習者は、世界にどれくらいいるのかご存知でしょうか。国際交流基金の調べでは、調査が開始された1979年の段階ではわずか「12万7000人」程だったのが、最新のデータ(2015年)では「365万人」を超え、137の国・地域において日本語教育の実施が確認されています。過去 36年間で実施機関数は14.1倍、教師数は15.6倍、学習者数は28.7倍にもなっているのです。
調査の開始当初というのは、おそらく「経済大国ニホン」に関心の高い層が多かったのではないかと思われます。一方、近年は日本の文化的側面に興味を示す層が増えており、なかには「マンガを原作のまま読みたい!」と日本語を学ぶ人もいるようです。
もちろん、日本にもそのような学校はたくさん存在しています。10年ほど前には、国内の日本語学校に勤務する海野凪子先生が主人公のコミックエッセイ『日本人の知らない日本語』が人気を博しました。この本は、日本語を学ぶ外国人の生徒たちから飛び出す奇想天外な質問が面白おかしく描写されています。例えば、
先生「立って言って下さい」
生徒「た」
といった、まるでコントのようなやりとりから、
・(お弁当で)醤油を入れる四角くて仕切りのある皿の名前は?
・「お」と「を」は同じ発音ですか?
のような、日本人でも即座に返答できない質問が矢継ぎ早に飛んで来るため、教室内の日々はカオスそのもの。これらの問いにうろたえ奮闘する凪子先生の答えから、私たち自身が母語の奥深さを学ぶことのできる内容となっています。
ちなみに、「冷める」と「冷える」の違いは、「冷める」=「熱いもの→常温」で、「冷える」=「常温→さらに冷たく」という違い。醤油を入れる四角い仕切りは「薬味醤油皿」とのこと。聞いてしまえば「ああなるほど」となりますが、そもそも日本人にとっては疑問に持つことさえないような質問です。
驚いたのは「お」と「を」の歴史でした。かつては「を」は「wo」と発音し互いに違う音でしたが、江戸中期になると同じ「o」に統一され、現在ではまったく同じ音なのだそうです。私はてっきり「を(wo)」だと思い込んでいました。
では、なぜ同じ音なのに「二つの仮名」が存在しているのか。実は、昭和初期には「を」の廃止が国として決定されていました。ところが、一気に撤廃すると社会が混乱を来たすとの配慮から、助詞の「を」だけを残し、「女(をんな→おんな)」にするなど他の用法はすべて統合したものの、その後全廃するタイミングがないまま現在に至るとのことです。当たり前のように慣れ親しんだ「を」が本当は存在していなかったかもしれないと想像すると、何とも不思議な気持ちになります。
「国語」≠「ニホンゴ」
このように、日本語教室の中で繰り広げられているさまざまな問いを見ていると、改めて私たちは「国語」は学んできたけれど「日本語」は学んでこなかったことに気づかされます。実際、私たちが習った「国語文法」とは異なる「日本語文法」というものも存在するようですが、日本人が英語を学ぶ時にいろいろな苦労をしたように、果たして日本語学習者たちは何に悪戦苦闘しているのか。言語を習得する際の「躓き」には、おそらくその言語の特徴が表れているはずです。
東京立川市にある「国立国語研究所」には、日本語学・言語学・日本語教育研究を中心としたさまざまな研究者が所属しています。石黒 圭教授は、そこの日本語教育研究の第一人者で、外国人の学習プロセスから日本語の持つ特徴を分析しています。石黒教授によれば、日本語の言語としての難易度はあくまで母語との相対的なもので、難しい側面も易しい部分もあるとのこと。中でも、日本語の「発音」に関してはその両面が内包されているそうです。
まず、日本語の母音は「あ・い・う・え・お」の5つだけなので、基本的には書いた通りに発音すれば問題なく、その点に関しては簡単な言語だと言われています。私たちが英語の学習時に躓いたような、「answer」の「a」は【ǽ】で、「author」は【 ɔː 】といった同じ仮名での読み方の違いはありません。
ところが、「拗音(ようおん)」と呼ばれる小さい「ゃ」「ゅ」「ょ」の類は、外国人にとっては難関です。例えば、「病院(びょういん)」と「美容院(びよういん)」はその典型で、「病院」を「びよういん」と言ってしまうだけでなく、「びよいん」「びょいん」など『拍感覚』の難しさも発生します。
拍感覚というのは、日本人にはあまり馴染みがありませんが、要するに英語では[supermarket]を[su-per-mar-ket]と4音節で発音する一方、日本語では「ス・ー・パ・ー・マ・ー・ケ・ッ・ト」と9拍で発音するというもの。いわゆる「ニホンゴ英語」と呼ばれる日本人特有の発声リズムのことです。その昔、私も海外旅行をした際に「Macdonald(マ・ク・ド・ナ・ル・ド)」の発音が通じず、英語では「マクドーノ」と言うのを知ってとても驚きました。
後編では、拗音、拍感覚以外にも私たちが知らないニホンゴの不思議を石黒先生にお伺いします。
伊藤剛(いとう・たけし)
1975年生まれ。明治大学法学部を卒業後、外資系広告代理店を経て、2001年にデザイン・コンサルティング会社「asobot(アソボット)」を設立。主な仕事として、2004年にジャーナル・タブロイド誌「GENERATION TIMES」を創刊。2006年にはNPO法人「シブヤ大学」を設立し、グッドデザイン賞2007(新領域デザイン部門)を受賞する。また、東京外国語大学・大学院総合国際学研究科の「平和構築・紛争予防専修コース」では講師を務め、広報・PR等のコミュニケーション戦略の視点から平和構築を考えるカリキュラム「ピース・コミュニケーション」を提唱している。主な著書に『なぜ戦争は伝わりやすく 平和は伝わりにくいのか』(光文社)、これまで企画、編集した書籍に『被災地デイズ』(弘文堂)、『earth code ー46億年のプロローグ』『survival ism ー70億人の生存意志』(いずれもダイヤモンド社)がある。