先日、金曜日の深夜に東京の山手線でトラブルが発生し、大量のお客さんが足止めされ、各駅のタクシー乗り場が大行列を作った騒動は記憶に新しい。渋谷、新宿、池袋などのターミナル駅は500人以上が列を作り、それに諦めた人々が道に出て、流しのタクシーを探すが、どれも実車。タクシー会社に電話してもつながらず、その様相は、まるで20年前のバブル時代を彷彿させるようだったという。
リーマンショック以降、世は100年に一度の大不況ということになっている。ボーナスは減額され、大学生の就職内定率も過去最低を更新。人々の消費熱は冷え、百貨店などは閉店が相次いでいる。日々、新聞やニュース、ネットの記事などに接していると、一向に回復しない景気に気が滅入るばかりである。
ところが、である。
先日のタクシーの行列騒動に象徴されるように、街に出ると、今もそれなりに人々であふれている。12月ということもあろうが、月曜の夜でも結構にぎやかだ。予約なしに店を訪れると、満席だからと断られることも少なくない。僕が贔屓(ひいき)にしている某スペイン料理店など、先日、予約の電話を入れたら、年内は無理と断られたくらいだ。
本当に――大不況なのだろうか?
僕らがイメージする大不況は、例えば、「暗黒の木曜日」と呼ばれる1929年のウォール街の大暴落だったり、日本で言えば、1973年の「オイルショック」だったり、1991年のバブル崩壊だったり、もっと悲惨なイメージがある。
それに対し、今の僕らに、それほどのひっ迫感はない。週に2、3回は飲みに行っているし、新作のゲームや贔屓のアーティストのライブなど、趣味にも積極的に投資している。紅葉狩りやボジョレー・ヌーボーなどの季節のイベントも外さない。
俗に「歴史は後から作られる」と言われる。
実は、ウォール街の不況はずっと軽傷だったとする検証もあるし、オイルショックの騒動も一面的なものだったと言われる。僕自身もバブル崩壊を経験しているが、実はそんなに暗かった思いはない。だが、ひとたび「大不況」と定義付けされると、他の想い出は忘れられる。
そう、不況だからと言って、別に僕らは自己の欲望や行動までセーブしたりしない。もちろん、無計画な投資は慎んだ方がいいが、過度に敏感になりすぎるのもどうかと思う。
例えば、日本のコンビニエンスストア1号店のセブン-イレブン豊洲店(東京都江東区)は、前年のオイルショックで日本経済がまさにどん底だった1974年5月にオープンした。景気動向に敏感だったら、絶対に避けたタイミングである。
不況は不況、それはそれ。――僕らは僕らだ。
草場滋「『瞬』を読む!」バックナンバー
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- 第4回 「マジメ化する若者たち」(11/30)
- 第3回 「選択肢のないシアワセ」(11/22)
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