【前回コラム】「記者会見時、マスクは外す?外したマスクはどこに置く?」はこちら
全仏オープン開幕3日前の5月27日に、女子テニスの大坂なおみ選手が試合後の記者会見を拒否した問題。これまでスポーツ選手は、メディアから投げられる「負の質問」への対応の“苦痛”に耐えることが義務のようになっていたが、彼女はその原因となる古い決まりごとに対し問題提起した。これは新しい時代への布石だ。
会見は、社会やファンに自分の意思を伝える場
メディアトレーニングの場に立ち会う機会のある筆者は、スポーツ選手のメディア対応の状況は、選手に不得手なことを求めるだけに止まらず、不愉快な質問にも笑顔で答えることが求められるため、苦痛を与えて疲弊させている行為だと感じていた。メディア側、そしてそれを黙認するかのような業界、そして社会には心底疑問を抱いている。
メディアトレーニングが目指すのは、「負のイメージ」と受け取られかねない言動のノイズを防いで、選手の生の声で大事なことを分かりやすく適切に伝えることだ。“選手のブランディング”という点を基軸として考え、聞き手により期待してもらえるようにトレーニングするのだ。
しかし、失礼でバカバカしい質問にムッとした顔ひとつせず、笑顔で答える練習をするのはメディアトレーニングではない。拷問に耐えさせるための覚悟の時間だ。これがおかしなことであると、なぜ今まで誰も発言しなかったのだろうか。
例えば、口下手だけれども、絵画で自分を表現することに長けた人がいたとする。こういった人のことを、一般に「アートの才能がある」という。スポーツも同じなのではないだろうか?高い身体能力を持つ繊細でシャイな女性が若くしてその力を発揮し、テニスプレイヤーとして世界に認められた、それが大坂選手だ。
そんな彼女の言葉を聞きたいがゆえの、純粋なインタビューや会見ならもちろん理解できる。選手もその期待に応え、自分の姿を現し、自分の声で意思を伝えるために会見を行うのだ。スポーツの世界は応援するファンがいてこそ成立するので、そのような会見の実施は納得できる。
しかし、不愉快かつバカバカしい質問を繰り返し投げかけるメディアに対応することは、選手の義務だろうか?そうした拷問のような状況に身を置くことは、選手の「社会やファンに向けてメッセージを伝える」という任務には含まれない。それは嫌がらせ以外の何ものでなく、本来我慢などすべきでもなければ、この状態を放置しておいてはいけないことなのだ。これは有名無名にかかわらず、人として。
選手に対するメディアトレーニングでは、こうした負の質問をされた時の想定問答や、その時の対応にあたる際のプレゼンスや、セルフマネジメントの仕方をアドバイスできる。しかし、この様な質問への対応の仕方を事前に準備したりトレーニングしたりする時間や労力、そして実際に会見で質問をされた後の気持ちのリカバリにかかる時間や労力は、スポーツ選手がスポーツ選手たるために使う時間でもなければ労力でもない。何とも不健康極まりない。
そのような状況を想定したトレーニングなどなくなればいい。そのような仕事を我々がしなくても済む日が1日も早く来ることを心から望んでいる。