ヴァージル・アブロー風“デジタルの現実をここに”-CES2022に新たな解釈

 

CES2022を新しい視点で読み解く

新型コロナウイルスが様々な点で世界を変えてしまってから、すでに2年が経ちました。

今回が2022年、私のコラムの最初の記事です。通常であれば年の初めは新しい年の幕開けと同時に、その年の行く末を議論するタイミングでしたが。しかし、今となってはコロナも含めて社会の変化のなかの一つの節目という形になっており、それだけ今の日常は変化と対応に追われていると言えます。

とはいえ、これまで同様にラスベガスで開催されてきたコンシューマーエレクトロニクスショー(CES)が今年は完全オンラインからオフラインとのハイブリッド開催に移行し(これは変化の一部でもあります)、この「アドタイ」でも電通の森直樹さんが毎年報告記事をあげていることでお馴染みかと思います。

今回のコラムでは、昨年急死した天才的なデザイナーとして有名なヴァージル・アブローの方法をインスピレーションとして、今回のCES2022を読み解く方法として応用してみたいと思います。具体的には、これまでのCESは現実世界をデジタル化すること(デジタルトランスフォーメーション)、あるいは現実世界と並行する新たな世界としてヴァーチャルな世界を活用すること(メタバース)が語られてきたわけですが、ここにもうひとつの視点を加えたいと考えています。それは、一言でいえば「デジタルの現実をここに」です。

ヴァージル・アブローの「建築の方法」の応用

2021年末に急死した先進的なデザイナー、ヴァージル・アブローは、「OFF WHITE」をはじめ、ラグジュアリーブランドのルイ・ヴィトンのメンズのアーティスティックデザイナーを手掛けるなど、多様な領域で活躍する多才能なクリエイターでした。彼は2019年にハーバード大学デザイン大学院で、彼自身のクリエイティブなアプローチについて学生たちに講義しています。ヴァージルはそのときのプレゼンテーションの最初のスライドで、その方法を「建築的思考法を別の領域で応用してみる」と明かしています。(ヴァージル・アブロー『“複雑なタイトルをここに”』アダチプレス 2019年刊)

この「建築的思考法」とは、彼自身の言葉によれば「建築においては構造化された方法で問題を解決する」もの。言い方を変えれば、建築とは違う領域のデザインであったとしても、そのものを構造化して捉えることで、建築的思考法を当てはめて応用できる、という意味です。建築のような作家一人で仕上げることのできない作品においては、単に自分の描いた図面を現実化するための監督すること以上に、構造的な要素に分解し、それを組み立てるためのクリエイターとしての方法論が求められるわけです。
ヴァージル・アブローは、この講義で自分の創造の一貫性を「自分の署名」と称し、それは一連の彼のオリジナルな「チートコード」であり、彼自身の「デザイン言語」であると告白しています。彼の作品として有名な「引用マーク」も、このデザイン言語の一部です。

ヴァージルの有名な引用マークとデュシャンのレディメイド

ヴァージルの引用マークについて解説すると、彼自身、これは現代芸術家のマルセル・デュシャンにおけるレディメイドというアプローチでもあり、ユーモアでもある、と言っています。レディメイドとは、既成の大量生産品を芸術に用いることであり、デュシャン自身が小便器に仮の芸術家の名前をサインして、「泉」と名付けて芸術品として出品したことがそのはじまりです。
ヴァージル・アブローの引用マークとは、本来制作の途中経過で示される「アタリ」のようなもので、本来ならば完成品では明示されない意味をそのまま“言語化”して、その場所に置くことで、そこに「ないもの」を自覚させるという方法を指します。たとえば、本来ブランドのロゴマークが入る位置に、彼はそのまま引用マークとともに“LOGO”と入れるわけです。

レディメイドが既製品をアート作品に変えるための装置として、美術館や芸術家の署名が必要だったのに対して、ヴァージル・アブローはその逆として、レディメイドそのものである既成の商品に、芸術制作過程における「アタリ」を明示させることで、逆にヴァージル・アブロー自身が手掛けたという署名を自覚させる仕組みということです。

CESで見られるデジタル化2つの主流:①「データ化」とサステナビリティ

CESで語られているデジタルトランスフォーメーションややデジタル化とは、すでにスマートフォンやスマート家電のような末端のデバイスのテクノロジーではなく、社会全体や企業全体の問題解決として語られています。それは基本的にネットワークベースでつながれていて、単体で機能するのではなく、それぞれつながったデバイスからの情報をAIが統合的に判断することで、末端のデバイスを連携して機能する「スマートな総合体」です。だからこそ、これに相当する対象は、スマートホームやスマートシティのような、複合的な要素を持ち、全体的な解決が必要な総合体(ユニティ)として認識されています。

韓国のSumsungや米国のGMをはじめとして多くのB2B向けソリューションを持つ企業が、CESにおいて「サステナビリティ」を大きなテーマを掲げるのは、この意味で当然の流れです。持続可能な社会のためのエネルギーの効率的使用や、資源の再活用という目的は、個々人の意図や欲望よりも、社会が活動する全体的な視点が不可欠だからです。彼らからすれば、スマートな社会を実現するためには、国家や企業が提供する巨大なインフラすべてが変わる必要があるからです。その意味で個別のオリジナルなテクノロジーの競争よりも、オープンプロトコルやプラットフォーム接続性が重要になります。

たとえばGMが輸送用のトラックを電気自動車に変えるだけでなく、そのまま輸送会社を立ち上げてそれを売り込むことで、対消費者向けよりも何千台と大きなスケールで、しかも継続したビジネスを受注することが可能になります。サステナビリティとは、その意味で「持続可能性の高い」解決方法でもあるわけです。

CESで見られるデジタル化2つの主流:②P&Gのメタバース進出と「体験化」

一方でP&Gのような対消費者向けの製品を提供する企業は、デジタルにおける生活空間の広がりが大きなテーマであり、それはメタバースへの進出という言葉で捉えられています。P&Gビューティの提供する新たな仮想空間beautysphereは、これまでのウェブサイトでは体験できなかったような、より没入した体験ができるものです。
ここでは明らかに、単に情報を伝え、知らせる、ということ以上に、消費者とのデジタル空間を通したつながりや、リアルな現実の世界に近い仮想的なデジタル空間のなかでヴァーチャル体験することが目的です。それだけ、スマートフォンにつながる個人用ジタルデバイスが強力なものであり、またデジタルのインターフェイスが人々の生活に当たり前に浸透しつつあることを前提としています。

P&Gのような「メタバース対応」へのアプローチは、フェイスブック社がメタに社名を変更した通り、今後、特に消費者向けに商品やサービスを提供する企業にとっては、一般的なものになっていきそうです。多くの企業は、これまでのデジタルのインターフェイスで一般的だったウェブサイトや、ソーシャルメディアのようなプラットフォームを超えて、より没入した(イマ―シブな)体験を提供できるデジタル空間を創造することがひとつのトレンドになっています。

ここで紹介したCESにおける2つの流れである、リアルをデジタル化(データ化)することで解決する全体最適、もしくはリアルの体験を移し替えた仮想デジタル体験(体験化)は、それほど新しいことではありません。今までもデジタル技術による変化とは主にこのデータ化と、新たな体験(空間)創出のふたつが主流であったったからです。もちろん、CESは未来のビジョンを語るカンファレンスではなく、あくまでリアルビジネスに貢献するテクノロジーの汎用性や商用化がテーマですから、それだけ現実の企業や社会にとっては、個別のデバイスや商品に限らないテクノロジーの問題解決が今後加速して現実化されることは、コロナ禍とは関係なく進むことが予想されます。

「デジタル化」第三の視点、デジタルが生み出す「新しい認識」

そこで、私は第三の視点を提供したいと考えます。それが、このコラムの冒頭で解説した、ヴァージル・アブローのようなアプローチ。問題を構造化したうえで応用する、というものです。
それは、第一のデジタル化を少しだけ変更したものとも言えます。人間の活動や思考をデジタル化するとは、2進法で単純化、数値化、抽象化、することを意味します。これを高度に機械的に処理するのがアルゴリズムやAIであり、これを効率化や最適化することが第一のデジタル化でした。しかし、デジタルに変換し抽象化されたものは、現実を捉え直すための新たな認識をもたらします。ヴァージル・アブローやデュシャンがかつて大量生産の既成商品であるレディメイドに対して「芸術」の認識を自覚させたように、単に現実をデジタルの数値に置き換えたものではなく、新しい「現実の認識」を与えてくれます。

例えばコンピュータ初期の頃、スーパーマリオがコンピュータの処理能力が小さいためにキャラクターがビット絵として表現されていたことを思い出してみてください。これは単にリアルなイタリア人の配管工をデータ化したものではなく、ゲーム上に純粋に表現された新しいキャラクターだったわけです。今ではマリオは当然64ビットの世界では3Dのリアルなアニメキャラとしても存在しますが、初期の絵も8ビットアートとして、いまだに残っています。この8ビットアート表現は、リアルな世界の対応関係にあるのではなく、それ自体が現実の新しい認識の仕方を示します。つまり、このデジタルの8ビット化を元にリアルな現実を見る、ということが可能なわけです。そのため、8ビットアートはそのまま現実の世界のファッションやモノとしても消費されています。

BMWの色の変わる車体における「新しい認識」

CES2022では、独自動車メーカーのBMWの車体の色が変えられる技術が紹介されていました。これはテクノロジー的には新しいものではなく、むしろ「枯れた技術」で、電子書籍に用いられているEインクという技術を車体に応用したものです。電子書籍における表示技術は、すでに商用化されていることから、かなり現実的に効用の高いものです。それは、表示中に電力を消費せず、光を反射するので直射日光下でも視認性が落ちないという特徴をもつだけでなく、天候によって色を変えること、つまり、反射する白にすれば車内温度の上昇を防ぐことができ、または熱を吸収する黒にすれば暖房による電力消費をおさえ、航続距離を伸ばすという実用的な部分につながっています。

たとえば車の色のデジタル化というと、現実世界をデジタルに応用したものがすぐに思いつきます。つまり、実際の車の車体をARやVR技術によりデジタル空間で自分の欲しい色に変えてみることで購入する前に確認するといったようなものです。しかし、このBMWの提案は、色を変えることが単なる現実世界における想像の延長にあるわけではなく、電子書籍リーダーにおける“デジタルの現実”を、車に移し替えたものなのです。

実際、CESでBMWの車体に覆われたデジタルテクスチャーを見たところ、車体全体がデジタルスクリーンになったような錯覚を覚えます。それは、現実世界のデジタル化ではなく、デジタル化で得られた「新しい現実の認識の仕方」を示しています。

デジタル上では現実的だが、リアルの世界に対応がないもの、モジュール化

デジタル上ではすでに一般的で現実性がある一方で、リアルの世界にその対応をもたないものの他の例としては、SNS上の「いいね」の数や、「フォートナイト」のようなゲーム上のプレーヤーが集まるイベント空間、「ポケモンGo」のアバターの衣装や、「あつまれ、動物の森」のようなゲームにおけるレアアイテムなどが挙げられます。メタバース進出で、ゲームプラットフォームにブランド空間を作る試みはいくつか見られるのも、すでにプレーヤーにとって現実的な空間において、ブランドが価値を提供したいという意図からでしょう。これはNFTのような純粋なデジタル上のアート作品にも通じるものです。ただ、そのデジタル空間にとどまらず、その新しい認識を改めて現実世界にフィードバックすることで、新しい価値を生み出すこともできるようになると思います。
その萌芽は、初音ミクのようなヴァーチャルキャラクターを含むアニメキャラやゲームキャラの衣装をそのまま現実で表現するコスプレイヤーたちに見られるでしょう。それは単に「実写化(現実化)」なのではなく、ある種の「プレイ(遊び)」としてエンタメ化するということです。

それ以外、デジタルの方法がそのまま新しい認識として捉えられるものとして、「モジュール化」があります。モジュール化とは、デジタル化によってリアルでは統合されていた価値を、意味のある要素単位に分解したうえで、再度それらを組み合わせることで多様なニーズに対応することです。この考えは、アルゴリズムと同じ発想です。つまり、現実世界をデジタルの論理で捉えなおすことによって、組み替えることを意味します。モジュール化によって、完成された商品を決まったスペックで売るのではなく、その価値を分解し、多様なニーズ別に提供できるようになります。そして、このモジュール化のエンジンは、当然ながらアルゴリズムでありAIです。

マーケティングの世界ではカスタマイゼーションとか、パーソナライゼーションと呼ばれる手段がありますが、従来、消費者向けの施策ではプライバシー保護問題とは相容れない点を持っていました。しかしモジュール化することでプライバシーを保護しつつ、カスタマイゼーションを実現することが可能になります。
つまり、リアルの世界では一人の個人に紐づいていた情報を要素別に分けて、いったんアンバンドリングすることで、個々人の好みに対応するというものです。具体的には「顧客が誰か」という情報ではなく、人に紐づき、その人が「どんな状況か」「何が必要か」を把握し、各要素別に適切な商品やサービスを提供するアプローチになります。顧客の詳細なプロフィール情報なしに、価値を直接提供するという方法は、プライバシー保護の視点から対応するゼロパーティデータとも呼ばれます。顧客のニーズを予測するのではなく、接点において顧客からそのニーズに関わるダイレクトな情報を得ることができれば、データを保持しなくても、価値を提供できるからです。

モジュール化とは、顧客のニーズと提供する価値のマッチングを明確にするためのものです。たとえば、結婚式を望むカップルに関して、年齢や予算に合わせてレストランや会場を提示するのではなく、「結婚式の思い出を残したい」「知人友人に祝ってもらいたい」などのニーズを明確にすることで、「思い出の写真を撮るための二人の旅」や「友達で作るお祝いイベント」になるような、それぞれの最適なサービスの形を提供するものです。

デジタルスクリーンのリアル世界への浸透

もうひとつ、直接CESには関係ありませんが、デジタル世界から届いた新しい現実の認識とは、おそらく電子スクリーン技術の巨大化と生活空間への浸透ではないかと思います。たとえば、CESのデータでも、テクノロジー化した商品で売り上げの増加が大きいものは、スマートフォンではなく、テレビです。そして韓国のLGなどが提案しているように、このスクリーンは限りなく薄く、また大きくなって、家庭に浸透し始めています。ニールセンのメディア接触データをみても、テレビをデバイスとして捉えて大型スクリーンでデジタルコンテンツを視聴する行動が増えつつあります。これは街も同様で、巨大なLEDスクリーンが覆いつくすような商業施設が増えています。このスクリーンの浸透と大型化は、デジタルコンテンツにも影響を与えています。つまり、新しいデジタルでの体験とは、VRヘッドセットを用いた没入的なヴァーチャルな空間を作り出すことより、現実世界の大型テレビや街中のスクリーンにおいて、現実とミックスされた新しい世界を示すことではないかと思えます。

かつてデジタル化とはスマートフォンの小さなスクリーンでインパクトがある見せ方、リアルで直接的な表現、短尺などが語られていましたが、今後はそのスクリーンがリアルな生活空間に入り込んでくることによって、デジタルが付与する新しい現実が増えていくでしょう。それはヴァージル・アブロー風に言えば、引用マークとともに「デジタルの現実をここに」という新しい世界になるのではないでしょうか。
 


 

鈴木健(ニューバランス ジャパン マーケティング部長)
鈴木健(ニューバランス ジャパン マーケティング部長)

1991年広告会社の営業としてスタートし、ナイキジャパンで7年のマーケティング経験を経て2009年にニューバランス ジャパンに入社し現在に至る。ブランドマネジメントおよびPRや広告をはじめデジタル、イベント、店頭を含むマーケティングコミュニケーション全般を担当。

鈴木健(ニューバランス ジャパン マーケティング部長)

1991年広告会社の営業としてスタートし、ナイキジャパンで7年のマーケティング経験を経て2009年にニューバランス ジャパンに入社し現在に至る。ブランドマネジメントおよびPRや広告をはじめデジタル、イベント、店頭を含むマーケティングコミュニケーション全般を担当。

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