新規事業を成功に導く「ユーザーファースト」とは(池田紀行×中村愼一)

新規事業を成功に導く秘訣は「ユーザーファースト」にあり――。書籍『ユーザーファーストの新規事業 社内の資産で新たな成長の種をまく』(中村愼一著)が3月末に発売され、書店やAmazonランキングで上位入りするなど好評を博しています。

著者の中村愼一さんは、損害保険ジャパン(損保ジャパン)に入社後2年で6つの新規事業を立ち上げ、今年度は100億円の売り上げを見込むなどすべての事業を軌道に乗せています。また、それには前職パナソニックでの事業開発の経験が生かされています。

大企業には人・モノ・カネの経営資源が豊富にありますが、それだけで新規事業がうまくいくわけではありません。では、成否を分けるポイントは何か。大手企業のマーケティング支援を数多く手がけてきたトライバルメディアハウス代表取締役社長の池田紀行さんが中村さんに聞きました。

 

ありそうでなかった、大企業の新規事業にまつわるノウハウ本

池田:『ユーザーファーストの新規事業』は、中村さんが所属している損保ジャパンと前職のパナソニックでの経験をもとに、新規事業の意義や難しさ、そして面白さについて書かれています。大企業の事業開発に特化した書籍は少なく、同じような立場にいる方にとっては実体験からノウハウを学べる貴重な機会です。

定価:1,980円(本体1,800円+税)
四六判 224ページ
ISBN978-4-88335-553-2

 

ただ、新規事業を手がける大企業は多いですが、正直なところあまり上手くいっている印象がありません。社内ベンチャーや社内新規事業コンテストなどを行うケースはよく聞きますが、果たして成長事業が生まれるのでしょうか。中村さんはどうお考えですか。

池田紀行氏
トライバルメディアハウス 代表取締役社長

1973年、横浜出身。ビジネスコンサルティングファーム、マーケティングコンサルタント、クチコミマーケティング研究所所長、バイラルマーケティング専業会社代表を経て現職。大手クライアントのソーシャルメディアマーケティングや熱狂ブランド戦略を支援する。日本マーケティング協会マーケティングマスターコース、宣伝会議講師。『キズナのマーケティング』(アスキー・メディアワークス)、『次世代共創マーケティング』など著書・共著書多数。

 
中村:確かに池田さんの指摘はもっともだと思います。私は、新規事業の成否を分ける重要な要素に「トップの強い意志」があると考えています。

2017年に損保ジャパンに入社する際、当時の西澤敬二社長(現会長)から感じたのは、将来への強い危機感でした。

当社の主力は自動車保険です。今は収益性の高いビジネスができていますが、自動車販売の減少傾向や自動運転車両へのシフトが進むことで、中長期で市場が縮小していくことは避けられない状況です。

西澤社長(当時)は「自分が社長を務めた会社が斜陽になるのは耐えらない。俺がいるうちに新しい事業をつくるんだ」と話していました。SOMPOホールディングスの櫻田謙悟会長も同様に「『昔は保険をやっていたんだね』といわれるくらいの存在にならないといけない」と話しています。このように、トップがコミットすることが最重要だと思います。

中村 愼一氏
損害保険ジャパン 常務執行役員

上智大学経済学部卒業後、松下電器産業(現パナソニック)入社。ハイホー・シーアンドエー代表取締役社長などを経て、2008年に会員サイト「CLUB Panasonic」を運営。会員数1000万人、月間2億PV規模に育て顧客ロイヤルティ向上に貢献。2017年11月損害保険ジャパン日本興亜(当時)に入社。執行役員ビジネスデザイン戦略部長として新規事業を担当し、個人間カーシェアサービス「Anyca」、マイカーリースの「SOMPOで乗ーる」、駐車場シェア「akippa」をはじめ6件の新規事業を推進。4年目になる2022年度は売上100億円を目指す規模へ成長を続けている。現在は新たな事業を複数計画中。

 
池田:トップの後押しは欠かせませんね。逆に、中長期でリスクを感じていても「俺の在任中に潰れるわけじゃないから、余計なことをして負の遺産を残したくない」と考える経営者も少なくないように感じます。

中村:危機感がまだ顕在化していない会社はそうかもしれません。例えば石油会社なら、ガソリン車がEVに取って代わったときにガソリンの需要が無くなってしまうことが容易に想像できます。リスクが顕在化している会社のトップの方がコミットしやすいでしょう。

裏を返せば、そこにコミットできていない経営者は、「ビジョンの発信ができない経営者である」ということだと思います。

マウンティングがアライアンスの成功を阻害する

池田:本書でもページを割いて紹介していますが、新規事業のポイントのひとつにアライアンス(業務提携)があります。他社と手を組みノウハウを持ち寄ることで、より実現可能性やスピードを高めることができます。

本来はWin-Winでシナジー効果を生み出すべきものですが、実際は利害が一致せずに衝突したりするケースをよく聞きます。合弁会社を立ち上げたは良いものの、業務分担や利益配分などで主導権争いが起きてしまう。提携や合弁事業をうまく機能させるためのポイントはどこにあるのでしょうか。

中村:実は、ディー・エヌ・エー(DeNA)とカーシェア事業の合弁会社を設立したときも、「合弁はうまくいかないよ」という話が経営会議などで挙がりました。うまくいかない要因は、相手に対してマウントを取りにいこうとしてしまうから。大企業とベンチャーでも、ベンチャー同士・大企業同士の提携でも、窓口の責任者は自分の手柄を上げたいと考えがちなので、主導権を握ろうとしてしまうのでしょう。

DeNAと最初に手を組んだときのこと。当時の先方の責任者でのちにDeNA SOMPO Mobility 代表取締役に就任した中島宏さん(現・モビリティテクノロジーズ代表取締役社長)と話したのは、「『DeNAが』『損保ジャパンが』ではなくて、きちんと市場を見て受け入れられるか否かを判断しましょう」ということでした。また、駐車場シェアリングサービスのakippaを関連会社化したときも「世間の認知をどのように拡大させて、売上を最大化できるか」だけを考えて合意をしています。

DeNAと合同で記者会見を開く(2019年2月)

自動運転時代になれば、インターネット革命の比ではない10兆円規模の市場が生まれます。「モビリティ業界として、その実を取りに行くためにはどうしたらいいかを長期的に考えましょう」と、経営層を含めビジョンの共有をしっかり行ったため、両社間ではそういったいざこざはありませんでした。

池田:中村さんのようなビジョナリーな人が率いていくことがアライアンスを成功に導くポイントなのですね。懸念点は、中村さんが引退されたあとにそういった話が少しずつ反故にされてしまうこと。後任のトップがマウントを取りに行こうとすると、悪い方向にいってしまう可能性もありますよね。

中村:おっしゃる通り。そのためには後継者を育成することも一つ重要な仕事です。当社も3年ほどの周期で人事異動がありますが、会社には「誰でも務まる仕事ではないので、ローテーションをやめてほしい」と伝えています。本書でも、事業開発はこれからのビジネスパーソンのキャリアに資する仕事であること、言い換えればプロフェッショナルの仕事であるというメッセージ込めたつもりです。

池田:この本のタイトルにある「ユーザーファースト」は、いろいろな意味での“ユーザー”ファーストということですね。

中村:株主も含めて関係先は全てユーザー。もちろん、社内も含みます。

池田:ユーザーのことをきちんと考えて社会課題を解決していくという、目標からぶれないこと。つまり、パーパスドリブン・ビジョンドリブンで事業を推進していくことが非常に重要なのですね。

積極的な「根回し」で、協力者を増やしていく

池田:本書の中で繰り返し、「途中経過の情報共有を社内で徹底する」ことについて触れていました。つまり「俺は聞いていない」といった軋轢を生まないように、「彼が進めていることは、知っているよ」という状態をちゃんとつくっておくことの重要性を説かれています。

このような人間くさい組織の渡り歩き方を中村さんも習得して実践されていますが、なぜこうしたことを重視されるようになったのでしょうか。

中村:関係各所、特に責任者クラスに説明をしなければ協力関係が十分に得られないことがあるからです。保険の新規事業などでは、調査部やコンプライアンス部、リスク管理部などとコミュニケーションを取り、守りを固めることも重要です。このあたりは部員のほうが勘所をつかんでいて、率先して動いてくれます。

複数の新規事業の共通の顧客基盤として立ち上げた会員サイト「SOMPO Park」

池田:すごいですね。いわゆる「根回し」は経営のスピードを落としてしまう、悪しき習慣と受け取られがちです。しかし、しっかり手順を踏んでいればむしろ前向きな協力が得られ、スピードが上がる。大企業で新規事業を進める際の重要なポイントかもしれないですね。

中村:そうかもしれません。人事異動が多い会社なので、プロパー社員は皆あちらこちらに元同僚がいて話が早いんです。

池田:新規事業を立ち上げるにあたって、大企業には多くのチャンスがあるにもかかわらず上手くいかないのはなぜだろうとずっと思っていました。実はこうしたところにも成功のヒントがあるのでは、と思いました。

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