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前回はターゲット設定についてお話ししました。今回のテーマは「ターゲットインサイト(以下、インサイト)」です。インサイトは「洞察」、本質を見抜くという意味になります。重要なのはよく認識されていますが、どこまで深く考えるのか、考えるための切り口となるものが何かについて、あまり議論されてこなかったように思います。では、始めましょう。
どこまで深く考えるのか
おいしいものが食べたい。
たまにはおいしいものが食べたい。
たまにはおいしいものが食べたいけれど一人で居酒屋は恥ずかしい。
インサイトをどこまで深く考えるのかというのは難しい問題です。「おいしいものが食べたい」はインサイトではない、とまでは言いませんが、おいしいものは世の中にたくさんありますので、これだけでは自ブランドへの活用が難しいです。インサイトを考える目的は競合の中での自ブランドのあり方とその先のターゲット設定をクリアに考えていくためですので、あまり浅いところで立ち止まっては、それを活用するところまで進めません。
インサイトを考えるための切り口①「気持ちの変化」
以前、私は毎朝6時くらいに起き、ビニール袋を持って近所を散歩しながらゴミ拾いをする習慣がありました。ゴミを拾うのは思いのほか楽しかったのですが、なぜ楽しいかというと「毎日違うゴミが落ちているから」だっただろうと思います(近所は大阪梅田の繁華街で、予想もつかないようなゴミが落ちていることが多かったです。例えば靴下など)。
ペットを飼っている人にペットの話を聞くと、よく出てくるのは「見ていて飽きない」という言葉です。「気持ちの変化を感じたい」というのは人間の根源的欲求であり、購買行動においても時間軸での気持ちの変化という視点を考慮すると理解が進むことがあります。
魚釣りは、釣れるまでの長い時間と釣れた一瞬の気持ちの変化が楽しい。ジェットコースターも乗る前と乗っている間、降りた後の気持ちの変化が楽しい。いつもと同じではないちょっとした気持ちの変化を自ブランドがどう提供できるのか、というのがポイントです。
インサイトを考えるための切り口②「規範」
「一人で居酒屋は恥ずかしい」といったように、人は他者からどう見られるかということを強く意識して生きています。購買行動にもこれは大きく影響しますので、どう見られたいか、どう見られたくないかという切り口で考えてみるのが有効になることは多いです。
インサイトは「こうしたい」という欲求の切り口だけで考えてしまいがちなのですが、実際の生活で、欲求と規範が合致しないということはよく起こります。例えば疲れて電車に乗って席が一つだけ空いていたときに、自分は座りたくても近くに年配の方がいれば席を譲ることが多いでしょう。欲求と規範がぶつかると、多くの場合は規範が勝つ。購買行動の心理を考える際にも規範は重要です。
受講生からの質問:
人からどう見られたいか、どう見られたくないかというのは高級車などラグジュアリー系のカテゴリーはイメージがつきやすいのですが、日用品でも当てはまることですか?
ネスレがインスタントコーヒーを発売したときの話をします。レギュラーコーヒーと比べ味と香りに遜色がなく、手頃な価格でかつ短時間でコーヒーが作れるという商品特徴があり、自信を持って発売しましたが、当初は思うように売上が伸びませんでした。
そこでネスレは、レシートを見せて「この買い物をした人はどんな人だと思うか」を聞く消費者調査をかけます。Aは、食品などのリストの中にレギュラーコーヒーが入っているレシート。Bは、他は全く同じでレギュラーコーヒーだけがインスタントコーヒーに代わっているレシートです。すると、Aに対する感想は「賢い、心が温かい」というものだったにもかかわらず、Bに対する感想は「怠け者、だらしない」という否定的なものになりました。他の内容は同じなのに、インスタントコーヒーが入っているとガラッと印象が変わる。インスタントコーヒーにネガティブなイメージが付着してしまっていることがわかりました。
購入者に想定されていた主婦・主夫にとって、「怠け者、だらしない」と見られてしまわないかが心配になることは、購入への大きな障壁です。それまでネスレは広告で「簡単、安上がり」という訴求内容を謳っていたのですが、それがこのネガティブなイメージを助長してしまうことに気づき、広告メッセージを「コーヒーをインスタントに代えればもっと家族のために時間を使える」というものに変更して、売上が大幅に向上する結果となりました。
他者がいない場でも「規範」は存在する
「手抜きをしていると思われたくない」というのは、冷凍食品やシリアルなど時短につながる多くの食品系カテゴリーにおいて考慮すべきインサイトになります。
また、冷凍食品の中でラーメンやうどんなどの麺類も人気なのは、「手軽に麺類を食べたいけれど、カップ麺ではなくお鍋で料理する感じのものがいい」というように、自分自身に対しての矜持で商品を選ぶ人もいるからです。自分はこういう人だと自分で思いたい。他者の目がないところでも、規範は存在する場合があります。
呑気と見える人々も、心の底を叩いてみると、どこか悲しい音がする。
「おいしいものが食べたい。」というように、今、この瞬間の欲求を考えることだけで立ち止まってしまうと見えてこないものが、「たまには」というように時間軸での気持ちの変化を考慮したり、「一人で居酒屋は恥ずかしい。」など他者からの視線を合わせて考えてみると、より深いインサイトの発見に繋がりやすくなると思います。
夏目漱石の『吾輩は猫である』に「呑気と見える人々も、心の底を叩いてみると、どこか悲しい音がする。」というフレーズが出てきます。生活者の心の底を叩いてみる。これがプランニングの最も面白いところなのかもしれません。
今回は、インサイトを深く考えるための2つの切り口についてお話ししました。次回のテーマは、インサイトを探るために避けては通れない「調査」を行う上での注意点です。
(次回は8月10日公開予定です)