はじめまして。電通デジタルの石川隆一です。
誰や。と思われている方もいらっしゃると思うので、少し僕のことを紹介させてください。
元々はレコード会社で働いており音楽畑出身なのですが、趣味である将棋の電王戦という大会で当時の佐藤天彦名人がAIに負けた、といったニュースを見てAIに興味を持ち独学で勉強を始めました。KaggleというAIのコンペティションにて入賞した後、AIエンジニアやプランナーとして、電通デジタルに異業種転職をしました。
そんな僕がなぜコラムを書こうと思ったかというと、近年クリエイティブ領域においてもAIを用いた表現は増えてきましたが、一方でAIエンジニアでもある僕はそんなAIが溢れかえった広告領域に少し違和感を覚えているからです。皆さんの中にもAIに対して懐疑的な方は多いと思います。そんな皆さんに僕の考えをお伝えできればと思っています。
将棋人気の復活の背景にあるのは、AIとの共存
2023年11月に、Chat GPTのバージョンアップが発表されました。昨今、Chat GPTやStable Diffusionといった生成AIが発展する一方で、イラストレーターの作品が無断で学習されるなど、世界中で著作権や肖像権の保護を求めて訴訟が起き、ネガティブなニュースを目にすることも多くなりました。今では、業務の効率化でAIを利用している企業は増えています。僕が仕事をする広告業界でも、クリエイティブの表現としてAIを使った広告がアワードなどで入賞する時代に突入しています。
それでもAIのクリエイティブは賛否両論がつきもので、まだまだみんな手探りで使い方を模索しており、AIと共存できている、とは言い難いかと思います。
そんな中でAIとの共存に成功した数少ない業界として、将棋があります。
最初は「人間 vs AI」の構図で大会などが行われ、敵対する関係でしたが、あっという間にプロ棋士もAIに勝てなくなりました。一時期、プロがAIに勝てなくなり将棋は終わったのではないか?と言われていましたが、将棋界はAIの実力を認め、むしろ積極的に活用をはじめたんです。
棋士はAIを使って将棋の研究を行うようになり、対局の解説ではAIが優劣をスコアで可視化し、次はどの手が良いかを教えてくれる。それを解説の棋士が見ながらコメントをすることで初心者にも分かりやすくなり、将棋人気の復活の足がけとなりました。
AIがどれだけ強くなろうとも、プロ棋士という職業は無くならなかった。何が言いたいかというと、将棋界を見てわかるように、AIがいくら素晴らしい棋譜を出そうとも、AIは「人間らしさ。」という魅力には勝てなかったのです。
クリエイティブも全てをAIで作るのではなく、人間らしさを表現するための手段として活用する。そこにクリエイティブとAIの共存の道があるのではないかと僕は考えています。
AIで最適化し続けることは正義なのか?
デジタル広告では、CTRなどの配信実績を元にクリエイティブを最適化させようという研究や取り組みが多く行われています。バナー広告など大量に制作しないといけない作業の工数削減を目的に、そのような取り組みが行われているのですが、僕はここに冒頭でお話しした違和感を覚えています。確かに配信の効果は向上するかもしれない。でも、過去のデータを学習したAIから言われた通りに直したクリエイティブは果たしてクリエイティブと呼べるのでしょうか?
そのAIが世の中に出回ったとき、トップクリエイターも新卒で入社したばかりの新人もAIの指示通りに制作すれば効果の高い同じクリエイティブが出来上がる。それはクリエイティブにとって正しいことなのでしょうか?
どちらが正しいか僕は答えを出せていないですが、一つ言えることはAIを用いたクリエイティブ最適化のゴールに「人間らしさ。」は存在しないでしょう。
そんな人の心を揺さぶるというクリエイティブの本質を忘れてしまうと、最適なものだけが世の中に溢れ、新しいものと出会うことのないクリエイティブの世界がやってきてしまうのではないか。僕は常にそんな危機感を抱いています。
YouTubeもXも個人の好みに最適化された情報を目にしていますが、レンタルビデオ屋でふとビデオを手に取っていた時のようなセレンディピティが失われつつある世の中で、クリエイティブまで最適化することが、人々にとって良いことなのかは改めて見つめ直さなければならないと思いました。
広告クリエイティブにてAIを使うメリットとは?
最近では、生成AIを用いたテレビCMやデジタルキャンペーンなどの事例が出始めています。
では広告クリエイティブにてAIを使うメリットはなんなのでしょうか?
僕はAIの長所として、全てのユーザーが他の人とは全く違う唯一無二の体験をできるところにあると考えています。
それを特に感じるのが、デジタルキャンペーンです。ユーザーの情報や入力からオリジナルのコンテンツを生成するキャンペーンなど、ユーザー主体の行動でクリエイティブが変化するところに「人間らしさ。」を感じました。
日常の何気ない瞬間や行動でクリエイティブが変わるという体験は、今までに無い新しいクリエイティブの形と言って良いのではないでしょうか。あくまで最適化のためにAIを用いるのではなく、表現手段のひとつとしてAIを活用することの大切さを最近はひしひしと感じています。
長々と思いの丈を綴ってしまいましたが、第1回目の本コラムを通して伝えたかったことは、「AIで最適化し続けることは正義なのか?」「その先に人間らしさが無くなってしまうのではないか?」という2つの問いです。
まだまだ答えの出ていない問題ではありますが、皆さんが思われている以上のスピードでAIは世の中に近づいてきています。気が付いたらセレンディピティも人間らしさも無くなった世の中にならないように、みなさまとこの問題に対して考えていけたら嬉しいです。
これから連載は続きますので、皆さまお付き合いいただけますと幸いです。