そこで本企画では、過去から現在にいたるまで、時代と共にあり、これからも「未来につないでいきたいコピー」について、制作者であるコピーライターの皆さんにお話を聞いていきます。
前編に続き、糸井重里さんにインタビュー。今回は新潮社の「想像力と数百円」、井上陽水さんの出演で話題を集めた日産自動車「くうねるあそぶ。」など、それぞれのコピーが生まれた背景や企画について、クリエイティブディレクター/コピーライターの谷山雅計さんが聞きました。(前編から続く)
商品の「知」と商品でない「知」をつなげる役割を担った「数百円」という言葉
想像力と数百円
(新潮社/新潮文庫/1984年)
出典:コピラ
谷山:次に取り上げたいのは、新潮社の「想像力と数百円」です。以前、TCC60周年イベントで、糸井さんはこのコピーについて「不朽の名作を書こうと思った」と自らお話されていました。僕が講師を務めているコピーライター養成講座の受講生たちに「好きなコピー」を聞くと、40年前につくられたこのコピーを挙げる人がいまだにたくさんいるんですよ。そのことからも、不朽の名作になったと考えていますが、糸井さんご自身はいかがでしょうか。
糸井:「想像力と数百円」というコピーは、キャッチフレーズではなく、「新潮文庫の100冊」というキャンペーンのショルダーコピー、いわば企業スローガンのようなものでした。ショートケーキで言えば、イチゴみたいな場所にあるものです。
このコピーが生まれた背景について少しお話しすると、もともと新潮文庫の仕事は仲畑貴志さんが手がけていました。サン・アドが担当していた仕事だったのですが、あるとき「今回は糸井さんにお願いしたい」と相談されたのが始まりです。
仲畑さんの上司からの相談でしたが、これはパルコの仕事と同様に「上手じゃないとバカにされる」タイプの仕事ですよね。たとえて言うなら、満塁でバッターボックスに立つような緊張感を伴うものです。フリーランスで仕事をしていた時代には、こういう重責を担う仕事ばかりが舞い込んできました。それでも、サン・アドと一緒に仕事ができるのは嬉しく、依頼を引き受けることにしました。
「想像力と数百円」というコピーは、すぐには思いつかなかったように記憶しています。最初に考えたのが広告に起用するタレントで、井上陽水さんを指名しました。彼の歌詞は文学的で、新潮文庫のイメージに合っていると思ったからです。彼も快諾してくれて、キャンペーンが本格的に動き出しました。
新潮文庫の広告を年間で引き受けたので、だからこそできる企画にしたかった。そこで考えたのが、正月の広告は真夏のグアムやサイパンなど南の島で撮影し、夏の広告は真冬の北海道・然別湖の雪景色というアイデア。広告のメインは夏なので、夏に雪景色をやりたかったんです。アートディレクターは副田高行さんで、1984年の正月広告では「自慢ではありませんが井上君もダザイでした。」というコピーを、1985年の夏の広告では「インテリげんちゃんの、夏やすみ。」というコピーをつくりました。そういう設定がないと、僕も一生懸命やる動機みたいなものが難しかったかもしれないです。そしてショルダーコピーがしっかりとあれば、広告そのものはのびのびと自由にできる。このとき自由度の高い企画が実現できたのは、「想像力と数百円」という、新潮文庫の姿勢そのものを表現しているコピーがあったからだと思います。
谷山:一つお聞きしたいことがあります。「想像力と数百円」は、サマセット・モームの小説『月と六ペンス』が着想のヒントになっていますか?
糸井:そうです。ただ、月を六ペンスで買うストーリーではないので、構造が違いますね。六ペンスという言葉が詩的で、それがかっこいいので、読んでもいないけどいいなと思っていました。六ペンスの代わりに「数百円」を入れることで、知(想像力を得る読書)が商品のようにも思えてくる。知は「商品ではない」という意見と、「商品だ」という意見があり、それをつなげる橋のような存在でもあるという、ね。
谷山:実はこのスローガンのキャンペーンの後に新潮文庫を担当したのが、僕と大貫さんでした。大貫さんもこのコピーは素晴らしい、なぜ違うコピーに変えなくちゃいけないんだろうという話を、打ち合わせのときによくしていました。だから、僕らはこのすごいものとは全く違うことをやらなくてはいけないんだという考えから、パンダを使った「Yonda?」が生まれたわけです。