出身地や高校・大学(さらに学部やゼミ)、新卒で入社した会社など、実は同じコミュニティ出身で、現在は産業界で活躍されている方たちをお招きして話を聞く本企画。第2回、一橋大学の「竹内弘高ゼミナール」篇の後篇です。竹内先生から授かる、ビジネスに生きる「30の戒め」とは……。
前編はこちら。
「一橋大学商学部・竹内弘高ゼミナール」編
古濱淑子氏(富士通 執行役員EVP Japanリージョン副リージョン長)
安達晃彦氏(小米技術日本 プロダクトプランニング本部 本部長)
常見陽平氏(働き方評論家/千葉商科大学 国際教養学部 准教授)
(左から)常見陽平氏、古濱淑子氏、安達晃彦氏
色褪せない人生の指針「30の戒め」
――ゼミ時代に学び、いまの仕事に生きていると思うことはありますか。
古濱:「30の戒め」を授けてくれましたよね。
安達:今日はその「30の戒め」が書かれたTシャツを持ってきました。卒業して20年後くらいに、ハワイのマウイ島にある先生の別荘で開催される短期集中ゼミがあるんです。このTシャツはそのときに僕たち13期で作ったもので、市耒健太郎(博報堂シニアクリエイティブディレクター)がデザインしてくれたんです。
古濱:いいもの持ってきましたね!「義理、人情、浪花節を大事にしろ」「40歳になったら自分の顔に責任を持て」とか、人生を生き抜くための必要な言葉ばかり。
安達:「30の戒め」は卒業時に文書の形で受け取ります。卒業直後はピンと来なかったものも、いま見ると噛みしめるものも多いなと。例えば、何か質問されたらとにかく「3つあると答えよ」というのは、普段仕事でも使っています。
Tシャツに「30の戒め」を散りばめた
古濱:4年生の就職活動の前に「君は何のために生まれてきたのか」という課題がありましたね。先生と対話をしながら、未来における自分の役割など考えを深めていくセッションなんですが、いま富士通で取り組んでいる「Purpose Carving」(社員一人ひとりのパーパスを彫り出し、言葉にする対話型プログラム)と似ているんです。先生には本質的な時間をつくってもらっていたんだなと実感しています。
人間関係が希薄化する時代に貴重な教え
――ゼミ時代の仲間や先生との間で印象に残っている思い出をお聞かせください。
常見:普通の学生ができない体験をいっぱいさせてくれましたよね。
古濱:合宿もたくさんありましたよね。
安達:青山の先生の自宅に招かれてパーティーしたり、その近くのレストランでコース料理をご馳走になったり。
常見:そのときにパスタの正しい食べ方を教えてくれるわけですよ。「ズルズル音を立ててはいけないよ」「美味しそうに食べなさい」とか。先生は青山で育ち、インターナショナルスクールに通い、1964年の東京オリンピックの通訳ボランティアを経験していて、まさに“規格外”。そのスケールの大きさを、スケールが大きいまま僕たちに見せてくれましたね。
安達:竹内先生の育ちの良さを改めて感じます。資産の持ち方やお金の使い方から、人との付き合い方まで、僕が生まれてから見てきた視点とは全然違うし、知らない世界ばかり。それを僕たちにインプットしてくださった。でも、いま大学で同じことをするのは「行き過ぎ」と言われるかもしれないですね。コロナ禍もあって学生と先生との距離感は薄まっていると聞くし。
常見:大学生の能力・資質も、置かれている環境も様変わりして、本当に学生との接し方は難しいですよ。どの大学も「ハラスメント」に気を遣っていますし、叱咤激励って言うけど、文字通りの叱咤をしたら大問題になるかもしれない。私たちが学生の頃はまだ完全には導入されていなかった授業評価アンケートもあり、教員も、学生たちからフィードバックを受ける立場でもあります。
古濱:先生が常々「お金や物を残すよりも、人を残せ」とおっしゃっていたように、人を育てることの大切さを感じます。それは、自分のチームうんぬんの話ではなく、次世代にどうやってバトンを渡していくかという意味で、先生もそうやって私たちを育ててくれたんだろうなと。私も、自社だけでなく社会に対して何かを引き継いでいきたいですね。
卒業式(1997年3月)。右端は安達さん、左端はゼミ同期の庄田真人さん
同期で竹内先生のご自宅へ
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