そこで本企画では、過去から現在にいたるまで、時代と共にあり、これからも「未来につないでいきたいコピー」について、制作者であるコピーライターの皆さんにお話を聞いていきます。
今回は、「21世紀MyCar。」「ウイスキー飲もう気分。」「あした、なに着て生きていく?」「愛と革新。」など、いまも語り継がれるコピーを数々生み出してきた児島令子さんにインタビュー。それぞれのコピーが生まれた背景や企画について、コピーライターの三島邦彦さんが聞きました。
実感をメッセージへと昇華する
三島:まずは「死ぬのが恐いから飼わないなんて、言わないで欲しい。」。こちらは若いコピーライターがみんな写経するコピーですね。このコピーはどのように生まれたのでしょうか。
死ぬのが恐いから
飼わないなんて、
言わないで欲しい。
おうちを汚すから飼わないというなら、
犬はお行儀を身につけることができる。
留守がちだから飼わないというなら、
犬はけなげにも、孤独と向き合おうと努力する
かもしれない。貧乏だから飼わないというなら、
犬はきっといっしょに貧乏を楽しんでくれる。
だけど・・・死ぬのが恐いからって言われたら、
犬はもうお手上げだ。すべての犬は、永遠じゃない。
いつかはいなくなる。でもそれまでは、
すごく生きている。すごく生きているよ。
だぶん今日も、日本中の犬たちはすごく生きていて、
飼い主たちは、大変であつくるしくって、
幸せな時間を共有してるはず。
飼いたいけど飼わないという人がいたら、
伝えて欲しい。犬たちは、
あなたを悲しませるためにやっては来ない。
あなたを微笑ませるためだけにやってくるのだと。
どこかの神様から、ムクムクしたあったかい命を
預かってみるのは、人に与えられた、
素朴であって高尚な楽しみでありますよと。
(日本ペットフード/企業広告/2003年)
児島:これは2003年の仕事です。当時、日本ペットフードが原材料などの「安心安全」について宣言し、それをテーマに訴求をしたいという話から始まった新聞広告でした。キックオフミーティングのとき、アートディレクターの副田高行さんたちとどういう広告にすればよいのか、あれこれと考えていました。でも私は「安心安全」でそのままつくってもつまらないし、それではみんなに届かないだろうと思ったんです。そもそも企業が「安心安全」を謳うのは当たり前のことで、企業広告として何か物足りないし、もったいないなと。
それならばペットフードという商品で、何を言うことが「本当の意味で広告になるのか」と考え始め……。いろいろと話しているうちに、制作スタッフがみんな犬を飼った経験があることがわかりました。その時に「ペットが死ぬのは恐いよね」という話になって、それはみんなが共有できる感覚だと思いました。当時、ペットブームの裏返しとしてペットロスが深刻化しているという現実もありましたから。
例えば当時人気だったAIBOのようなロボットと違って、命あるものがいつか死ぬのは避けられないこと。だから「死ぬのが恐い」という、みんなが共有できることをメッセージとして言えたらいいねという話をして、その日の打ち合わせは解散しました。 そして自宅で、夜中にコピーを書き始めました。そのときに自分が飼っていた犬を思い出したんです。
三島:児島さん自身が飼っていた犬を。
児島:はい。小学校1年から高校3年までの12年間、飼っていた犬です。死んだときはもちろん悲しかった。でも、同時に「すごく生きていたな」ということを、そのコピーを書くときに思い出したんです。家族旅行から帰ったときの喜びようはすごかったし、お母さんが袋を触るとお菓子がもらえると思って喜んだり……。とにかく健気で、毎日を全力で生きていた。そんな12年だったなと思い返して、私の中で一粒の思いになりました。それがかたちになったのがボディコピーにある「すごく生きている。すごく生きているよ。」という言葉で、そこにみんなが反応してくれました。
実感をそのままコピーにすると、読者からすれば「それはあなたの自分語りでしょ」となっちゃいますよね。でも、この「すごく生きていた」という実感をメッセージに昇華していくことができれば、それはコピーにできるんじゃないかと思ったんです。ボディコピーはそこに注力しました。
「死ぬのが恐いから飼わないなんて、言わないで欲しい。」は、コピーというよりボディコピーに引き込むためのヘッドラインであって、そこに発見やメッセージはありません。メッセージはボディコピーの中に入れているというコピーのパターンですね。
三島:このコピーは「死」や「恐い」という、普通であれば扱うのが難しい言葉を使っているにもかかわらず、読後感がものすごく温かいですよね。ボディコピー全体の抑制の効いたトーンの中で、この「すごく生きている」部分の情感のバランスが絶妙です。児島さんはこれを一晩で書き上げたんですね。
児島:私も仕事によっては何日も粘って、ブラッシュアップして、ということもあるのですが、これは頭の中でプロットができて1行目が決まったら、2行目が出てきて、それを書いたら3行目が……というように、どんどん言葉が出てきました。飼わない理由をあげていって、死ぬのが恐いに行き着く。そこに対して「すごく生きている」と言われたら、一度でも犬を飼ったことがある人であれば、すごくわかってくれるだろうと思いました。死ぬことのマイナス面だけを考えるのではなく、すごく生きて、一緒に幸せな時間を過ごしたことを思ってほしい。それで、もう一度ペットを飼ってみようという気持ちになってもらえたらうれしいですよね。
このコピーで、もう一つ大事なのは、誰が語るかという話者の問題です。企業が語ると、どうしても「我が社は安全安心で~」となってしまうのだけれど、私はそういう企業広告はつくりたくなかった。それは日本ペットフードに限らず、どんな企業広告でもそう思っています。この広告で言えば、話者は日本ペットフードでもないし、私でもない。具体的に誰というのはないけれど第三者的な人が語っている広告で、広告紙面の下のところで日本ペットフードがその言葉を受け、安心宣言をしているという構造。日本ペットフードを話者にしたら、こういう風には書けなかったと思います。
三島さんは、普段の仕事の中で話者についてはどう考えていますか。
三島:僕が企業広告のコピーを書く場合は、その企業が一人の人間だったらという風に話者を設定していることが多いと思います。企業そのものとして書く、企業に向かって書くというどちらでもなく、そこで働く一人の人に近い視点で書いているかもしれません。この広告は確かに中立的というか第三者的で、見方によっては犬たちが言ってくれているような気すらします。どうすればこの角度でコピーを書けるのだろうと、この広告を見た時からずっと思っていました。
児島:これはもうイメージが明確だったので、一晩で書けたのですが、自分でももう説明できない何かがありますね。
このコピーはその後、教科書や大学の獣医学教室のホームページに掲載されたり、時には犬猫関連のところで勝手に使われてもいるんです。誰かが自分のペットが死んだときに書いたブログでも「ポエムを紹介します」とあって、このコピーが紹介されていたり……。でも、そういうものを見たときに、一瞬で終わるはずの広告コピーが独り歩きしていったと思って、うれしかったですね。
三島:犬を飼うことの喜びや本質がここにあると思えると同時に、その結果として商品であるペットフードのためにもなっています。児島さんがおっしゃった「本当の意味で広告になる」ということを達成しながら、今も生き続けているコピーだと思います。