出身地や高校・大学、新卒で入社した会社など、ビジネスパーソンは誰しも、複数のコミュニティに属しているものです。そうしたコミュニティの中でも、特に10代、20代の価値観が形成されるタイミングで出会った同志との関係は、その後の仕事に対する哲学にも影響を与えるのではないでしょうか。
本企画では、同じ高校や同じ大学のゼミで学ぶなど、実は同じコミュニティ出身で、現在は産業界で活躍されている方たちをお招きして、当時の思い出話から、現在のお仕事まで伺っていきます。
第3回は、東北の伝統校として知られる「宮城県仙台第一高等学校」(仙台市)を1999年に卒業した同期(高51回生)のお三方に集まっていただきました。
「宮城県仙台第一高等学校」編
中村俊之氏(ポーラ EC事業部 部長/日本アドバタイザーズ協会 理事・デジタルマーケティング研究機構 代表幹事)
近江剛史氏(九重本舗玉澤 専務執行役員)
鈴木聡倫氏(CHERRY 代表取締役)
(左から)鈴木聡倫氏、近江剛史氏、中村俊之氏
「バンカラ」と「ハイカラ」で対抗戦
――「仙台一高」「一高」として親しまれていますが、どんな高校でしたか。
中村:仙台一高は1892年に宮城県尋常中学校として開校しました。僕たちの時代は男子校でしたが、2010年から男女共学になりました。校訓の「自重献身」、標語の「自発能動」のもと、生徒の自主性を重んじる自由な校風です。特徴的なのは「発起人制度」で、運動会や文化祭などの学校行事は、生徒が自主的に結成する実行委員会での議論を経て、初めて開催が決定します。発起人がいなければ行事は中止になるという、仙台一高が持つ自由の精神を表す制度のひとつです。
――ともに宮城県を代表する進学校である、仙台二高(仙台第二高等学校)とのライバル関係が有名と聞きました。
中村:仙台二高とは毎年野球の定期戦があり、「杜の都の早慶戦」と呼ばれるほど白熱します。一高は「バンカラ」、二高は「ハイカラ」と称する人たちもいて、応援団のスタイルも対照的です。
鈴木:一高が早稲田、二高が慶應のような雰囲気ですよね。応援団の服装も、一高は代々受け継がれるボロボロの詰襟(つめえり)に対して、二高は真っ白で丈の長い学生服と正反対。「伝統」がはじめて自分の中に入ってきた経験で、衝撃を受けたことを覚えています。
近江:それゆえか、仙台一高卒業生の絆は世代を超えてとても強く、毎年夏には参加者が500人を超える大同窓会も開催されています。自分の子供を一高に入れたいという卒業生も多いです。