東京工業大学総合理工学研究科長 原科幸彦
アセスは参加の機会
前回、日本の環境アセスメントの実施件数は世界各国に比べ極端に少ないことを述べた。日本では沖縄の辺野古アセスのような巨大で環境影響の大きそうな事業しかアセス対象としていないためである。
辺野古アセスには86億円もの費用がかかったと報道されているが、全く異常である。米国などアセス先進国では、ちょっとでも環境影響が心配される場合は簡単なアセスで、まずチェックしてみるという仕組みなので、時間も費用もあまりかからない。そのうえで、必要があれば日本のような詳細なアセスを行うが、世界のアセスは詳細アセスでも巨額の費用はかけていない。それは方法書段階で、アセスの調査項目をきちんと絞り込むためで、無駄な調査はしない。また、逆に必要な調査項目はもらさないようにしている。
情報公開を基礎に十分な参加を行うことがアセスメントの本質である。だから方法書段階でも十分な参加が行われ、調査項目の絞り込みが行われる。方法書段階は、英語ではスコーピング(scop ing)と言い、検討範囲(scope)を絞り込むことを指す。従って、調査項目だけでなく、調査の範囲や方法も絞り込む。さらに重要なのは、環境影響を緩和するための代替案の範囲についても絞り込むことである。
このように、人々が懸念することは何か、十分な参加により整理してゆくのがアセス本来のプロセスである。だから、最初から大規模事業だけに絞ってアセスを行うという考え方はとらない。どの程度の事業規模なら問題がないかは予めわかるものではないからだ。事業規模を問わず、まず簡単なチェックをする。
あれほどの原発事故は防げたはず
日本でも、このような簡易アセスが行われていれば、どうだったか。福島原発事故も、あそこまで酷いことにはならなかったかもしれない。なぜなら、当事者である東京電力の幹部が、実は、非常用電源を安全な位置に移設しようと考えたと、、事故後数カ月の時点で証言しているからだ。
原発事故の原因は調査中だが、その後に生じた非常用電源の全喪失は津波がもたらした。あのような場所に非常用電源を設置していれば津波により、破壊されることは容易に想像がつく。せめて福島第二原発のように、タービン建屋ではなく頑強な原子炉建屋に置けなかったのか、あるいはもっと高台に置けなかったのかと思う。
東京電力の幹部はこのことを考えたが、そのような前例がなかったためできなかったとのことである。そこで、少しでも環境への影響がありそうなら、まず簡単なチェックをするという、簡易アセスが日本でも行われていればどうだったろう。非常用電源を安全な場所に移設しようと考えたが、それを実行に移すきっかけがなかったというが、簡易アセスはそのきっかけを与えてくれる。
安全性審査とアセスは別物である。だが、例えば、安全性審査の際に簡易アセスも合わせて行っていればどうだろう。簡易アセスにより情報公開と参加のプロセスを持てば、地域住民などから色々な意見が出る。東京電力の幹部が心配していたようなことは、地域住民や関連する専門家からも意見として出されたはずだ。そうすれば、事業者はそれに対して、正面から対策を講ずるという「意味ある応答」をすれば良い。
アセスメントは具体的な行動のきっかけを与えてくれるものである。それは住民やNGO、産業界、専門家等の様々なステークホルダーとのコミュニケーションの場となる。
発電源の転換も容易に
だが、このリスク管理に有効なはずのアセス制度の整備を電力各社は嫌ってきた。日本のアセス制度が世界標準の理念から大きくかけ離れているのは、過去40年にわたり、電力各社が常にアセス反対の姿勢をとり続けてきたからだ。
その主要な理由は、環境アセスメントは発電所、とりわけ原子力発電所の立地の妨げになると考えてきたからである。アセスの結果、環境影響が大きいとなれば、立地点の変更を含め様々な対応が必要になる。アセスがなければ、たとえ不十分な対応でも立地は可能だ。だが、立地段階に十分な環境や安全への配慮を行っておかないと、今回のように大きな被害を地域住民や社会全体に与えてしまう。
日本では、電力各社などの反対で、アセスの適用対象は大きく制限されてきた。その結果、環境影響評価法では、巨大事業しかアセス対象となっていない。事業種も道路やダム、新幹線、発電所など13事業種と港湾計画に限定し、その上で巨大なものに限っている。この結果、環境影響評価法のもとでは、前回述べたように、年間わずか20件ほどしか適用事例はない。
巨大事業だけを対象とする結果、日本のアセスは通常、2~3年もの期間がかかり、費用も数億円から時には数十億円もかかることになってしまった。しかし、規模が大きくても環境影響は小さいとか、影響が出ても十分にその緩和措置が取られる場合もある。事業者が十分な環境配慮措置をとる意志が明確なのに時間や費用が大きくかかるアセスを行う必要があるのだろうか。素朴な疑問である。
例えば、もしも、簡易アセスが行われる仕組みであれば、今回の震災時の災害復旧のためのアセスの緊急措置も変わっていたであろう。単純なアセス免除ではなく、簡易アセスにより、必要な参加プロセスは持てた。
東京電力では災害復旧のための緊急措置として発電施設建設のアセス免除がされ、事業者は情報提供はしたというが、住民から直接声を聞く参加の機会はなかった。日本の臨海工業地帯などの火力発電所では、実質的な問題は生じ難いと思われるが、アセス免除により地域住民との大切なコミュニケーションの機会を失った。プロセスが重要なのである。その意味では簡易アセスをするべきであった。
簡易アセスの仕組みがないことにより、他の問題も生じている。関西電力では、発電源転換の障害となっている。通常の詳細なアセスしか方法のない日本の仕組みでは、大きな環境影響が生じないと考えられる場合であっても2~3年ほどの時間がかかってしまうと思われているからである。原発が全て停止した場合の代替電源としての火力発電所の建設は、東京電力と違い、被災地からは離れた関西電力では、災害復旧時の特別措置も取れない。
同じような事情が他の代替電源の場合にも生じている。風力発電である。
環境影響評価法は2011年4月に改正されたが、対象事業の範囲は風力発電施設が加わったくらいで、ほとんど拡大していない。この風力発電への適用は今年の10月からが予定されているが、従来型の詳細なアセスが適用されるため立地に2~3年もかかってしまうのではないかと事業者は危惧している。せっかく自然エネルギーへの転換を目指しても足かせになってしまうとの見方である。
しかし、通常の詳細アセスであっても方法書段階での情報公開と参加を十分に行い「意味ある応答」がなされれば、様子は変わる。方法書段階がスコーピングとしての機能を真に果たせば、調査項目の絞り込みが適切になされ、アセスは、結果的に1年程度までで終了させることも可能ではある。
世界標準型の環境アセスに
筆者は環境アセスメント本来の理念に立ち返り、対象事業の概念は大きく変える必要があると考える。対象事業の定義を変え、少なくとも年間数万件以上は対象とするような制度へ抜本的に変えるべきである。
福島第一原発が建設された時点では環境アセスメントの制度はまだ、世界中どこにもなかったので立地段階のアセスの適用は不可能であった。
しかし、今回の事故は、立地段階のアセスがいかに重要かを雄弁に物語っている。アセスにおいて想定外だという言い訳は通用しない。アセスメントは様々な場合を想定したうえで、安全側の対策を講ずるための方法であり、これによってリスク管理が可能となる。電力各社はアセスメントを嫌ってきたため、様々な場合を想定できなかっただけである。
原発の安全性のためには通常以上の想定が必要であるし、米国のように想定外の場合の対応方法も事前に考えておく必要がある。残念ながら、日本はアセス後進国である。もし、日本でも経済先進国にふさわしい、まず簡単なチェックをするというアセスメントが行われていたなら、あれほどの原発事故は防げたのではないか?
本来のアセスは事業者の環境配慮のコミュニケーションを促進するもので、環境を良くして行くというプラスの効果がある。持続可能な社会を目指すなら、現行のアセスの理念を変えなければならない。環境影響のおそれが少しでもあれば、まず、チェックしてみる。これが科学的なアプローチである。世界各国で簡単なアセスを広範に実施している。
そこで、筆者の提案は、国が何らかの形で関与する事業で明らかに環境影響のないと思われるもの以外は、まず簡易アセスを行い、この結果に基づきスクリーニングをして詳細アセスを行うものを絞り込むという世界標準型の手順である。
米国のNEPAアセスでは、簡易アセスのあとで詳細アセスに進むものは0・5%しかない。99・5%は簡易アセスで終わっている。だから、アセスに対して日本ほどの負担感はない。し
かも、ステークホルダーとのコミュニケーションや問題の改善のきっかけなど、簡易アセスの導入は多くの効用をもたらす。
【シリーズ:簡易・環境アセスのススメ】
エネルギー問題や自然環境保護など、環境問題への対策や社会貢献活動は、いまや広告・広報、ステークホルダー・コミュニケーションに欠かせないものとなっています。そこで、宣伝会議では、社会環境や地球環境など、外部との関わり方を考える『環境会議』と組織の啓蒙や、人の生き方など、内部と向き合う『人間会議』を両輪に、企業のCSRコミュニケーションに欠かせない情報をお届けします。 発行:年4回(3月、6月、9月、12月の5日発売)