さて、3次元マトリックスの話は終え、今回はメディアと読者の「ペルソナ」設定についての話です。成功した一流のメディアには、明示的か、暗黙的かは別にして、その読者がどういう人なのか?を活き活きと独り語りするような、いわゆる「ペルソナ」と呼ばれるものが、メディアを取り巻く関係者の「脳内」に存在しています。
ペルソナとは、製品開発の方法論として、マーケティング手法の一つとして、行われてきたものですが、なぜメディア作りに(読者の)「ペルソナ」が必要なのでしょうか? そもそもペルソナとは何でしょうか?
ペルソナについては、最近でも、mixiを使っている女性ユーザーと、Facebookを使っている女性ユーザーとの相違点を、単なる定量データでなく、擬人化された「生活者」としてのトーンで描いたペルソナ開発支援サービスである「ぺるそね」からの下記の記事掲載があり、「ああ、わかる!分かる!あるよね〜」的にネット業界内で話題を呼びました。(Facebook女子とmixi女子の違いとは? -データからみるペルソナ図鑑)
コプロシステムでは同社のクラウド型消費者分析ツール「ぺるそね」を使い、フェイスブック、ミクシィ、ツイッター、グリー、モバゲーの各ユーザー像を分析。イラストはそのなかからフェイスブック女子とミクシィ女子のみ抜粋したもの。
(「宣伝会議」2012年5月15日発売号より引用。本特集内でもコプロシステム・大久保惠司氏が「ソーシャルメディア女子」についてユーザーイラストを基に詳述している)
「ペルソナ」とは実際のユーザーを、単なる定量的な属性データの共通項(性別、年齢、居住地)からではなく、もっと感性的、心理的な情報も含めてイメージできるように、擬人化してものを言います。平たくいえば、ターゲットユーザーの「キャラ設定」ですね。
以前のコラムでも紹介したように、メディアというものは、そこに情報が掲載されることによって、どういう層の読者が、きっとこのように反応するのだろうな・・と実際に読者の行動が起きる前に、想像され、予想される部分にこそ、影響力の本質があります。
ゆえに、「ウチのメディアには、こういう読者がいるんですよ。」ということを周囲の関係者(取材先、広告主、社員のみに留まらず、外部ライターやカメラマンなどのスタッフ)の頭の中で「活き活きとしたイメージ」を持ってもらえるかどうかは決定的に重要です。
メディアは、情報の受け手と、送り手とが、コミュニケーションするための媒介・媒質(=メディアの本来的な語源)なわけですから、受け手である読者の「顔」が思い浮かばねば、広告も打ちようがありませんし、文章を依頼されたライターも、記事の書きようがありません。「カオナシ」的な人間からのアクセスが1億訪問セッションあり、そのことはウェブサーバーにアクセスログが残ったのだけれども、それ以外の外部メディアや実社会では全く話題にも登らないし、実際に読者行動に影響を与えなかった、というのでは、お話にならないくらい全くダメです。
そこで、アクセス解析でいう「訪問セッション」を擬人化した行為として受け止めてもらうために、いわゆる「読者プロフィール」が求められることになります。閲読者の性別、年代分布、居住地がグラフになったものです。見たことがある方も多いと思います。もちろんこれは必要なのですが、しかし、これだけでも、まだまだ全く不十分です。
その理由を具体的に説明しましょう。例えば「30代女性のためのウェブ・マガジン」を企画するとしましょう。しかし、その30代女性は、「子育て中のママ」なのか「独身でキャリア系のビジネスウーマン」なのでしょうか? この違いによって、読者の興味関心や趣味嗜好、購買行動など全く変わってくるはずです。ここが明確にならないと、広告主も出稿意欲が高まらないですし、編集スタッフやライターも、どういう話題や取材先を選定して、記事にすればいいのか、よく分かりません。曖昧なまま進めても、結果的には実際に誰にも「あ、このメディアは私向けのものだ」と受け取ってもらえない可能性が濃厚です。
他にも例を挙げましょう。昨今、「格差社会」論がやかましいです。そんな中で、性別・年代以外の軸に、所得や資産額を読者セグメントに入れ込み、富裕層マーケティングの受け皿として、「富裕層のためのプレミアムなメディア」的なショルダーコピーのメディアも実際に幾つも立ち上がっています。しかし、この「富裕層のためのプレミアムメディア」というククリも、筆者の私見では、全くもって乱暴すぎる読者セグメンテーションであり、ペルソナ設定だと感じます。たとえば「富裕層」といっても、地方で祖父の代から3世代にわたって続く60歳の開業医と、ヒルズに住み、スマホやソーシャルゲームの流れにのって株を上場させた28歳のネットベンチャー経営者の両方を「資産5億円の富裕層男性」という共通項で読者に設定しても、好きな食べものから、乗るクルマから、旅行先まで、興味関心は全く違い、実際に対面したとしても、共通の話題すら存在しないことは容易にお分かり頂けるでしょう。
そこで、性別・年代・所得といった属性情報を超えて、読者をセグメンテーションし、日々の編集判断や広告セールスにおいて、「ブレのない判断軸」を作っていくために、必要になってくるのが、単なる静態的で定量的な属性情報によるセグメンテーションを超えた、キャラ情報としての読者「ペルソナ」です。
私が思うにメディア編集者にとっての読者「ペルソナ」設定とは、ユーザーを定量調査に基づいて収集されたデータ数値の集合として把握するのみでなく、あくまで「一人の生活者」として、電車の席でアナタの隣に座るかもしれない生身の人間のようにイメージし、本人すら気づいていないその心の奥底のヒダまで含めた、深層心理への洞察を持って、あたかもイタコのように自分の脳内に擬似人格を「住まわせる」域にまで到達できることが望ましいと思っています。
長編小説を書く作家や、人気マンガの原作者が、作品完成後のインタビューなどで、しばしば『頭の中に、登場人物たちの「キャラ設定」さえ、きちんと出来てしまえば、あとは、勝手に登場人物たちが、ストーリーを前に引っ張っていくんですよ。』というような趣旨のことを話すのを聞いたことはないでしょうか。ここで言われる「キャラ設定」というものと、メディア運営における読者「ペルソナ」の設定というものとは、ほとんど同じものだと思います。宮崎駿氏がナウシカや、キキ(魔女の宅急便)を思い浮かべ、こち亀の秋本治氏が、両津勘吉を思い浮かべるような距離感で、自分たちが関わるメディアの対象読者のことを思い浮かべられるようになれれば、メディア作りは半分成功したも同然でしょう。
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