12回続いたコラムも今日が最終回です。今まで、いいね! やリツートして下さった皆さん、本当にどうもありがとうございました。人に読んで頂く前提で7年間の自分の中国生活から、トピックスを探しだし整理するという作業は、大変ですがとても自分の為になりました。
よく「重松っていつ日本帰るの?」と聞かれます。一般的に日本の会社は3~5年くらいで駐在員を入れ替えます。僕は敢えてコラムのタイトルにも7年目って入れさせていただいたのですが、これは駐在員としては長いほうです。しかし、実はサムスンの駐在員は10年以上平気で1カ国に行きます。以前のコラムで、1、2年は言葉を覚える期間、と書きましたが、ゼロから勉強して、中国語でプレゼン出来るようになるにはどんなに早くても3、4年は掛かると思います。もし5年で帰っちゃったらあまりにもったいない。
でも、私の会社にもやはり3年とか5年みたいな雰囲気があり、そろそろ重松は東京本社に帰るべきだ、とどこからともなく言われたりすることもあります。しかし、よく考えてください。現在、世界中のあらゆる企業がこの国へやってきて、知恵を振り絞って、勇気を出して巨額の投資をして、死ぬ気で戦っています。ローカル企業もそんな外資系企業から学びグングン力を付け、強力なライバルになってきています。
マーケティングは戦いです。表現は悪いですが、国と国が、企業と企業が、血で血を洗う戦争をこの国でしています。たったの3年や5年住んだくらいで、本当にそんな人達と戦えるようになると思いますか? 僕は、日本の全ての会社に申し上げたいのですが、海外に駐在員を出すなら、10年や20年はそこで戦わせるつもりで送り出すべきだと思います(結果的にその人が5年で帰るのはもちろんOKですが、気概の話)。
逆に、駐在する人も、最初から3年で帰る気マンマン、 中国のことを知ろうとしない、長期休暇のたびに日本に里帰り、みたいな人であればクソの役にも立ちませんので、早急に帰国されることをオススメいたします。特に中国語も英語も全く覚えず日本語だけで押し通しているような人は、論外だと思います(中国では英語は通じない、と言われますが、ビジネス上では通じるシーンも多いです。上海では英語でビジネスをされている日本人もかなり居らっしゃいます)。
おそらく、日系企業でもこれから、海外の売上が日本本社の売上を超える会社がドンドン出てくると思いますし、そうならないと日本国は立ち行かないでしょう。僕は、みんなが日本国内でお金を取り合っても仕方がないので、全員で一緒になって海外で稼げばいいのに、と思います。日本に居なくても、日本の為に出来ることは沢山あるはずです。日本の会社は、現状技術で勝って、ビジネスで負けていることが多いと思いますが、僕は超微力ではありますがこの状況を変えることのお手伝いをしながら、日本が海外で稼ぐことに関する仕事に従事したいと思っています。
日本に住んでいると、「自分は日本人です。」というシーンってほとんどないですが、海外に住んでいると、「僕は日本人です」という機会がとても多い。不思議なことに、言えば言うほど、その都度どんどん日本が好きになる。日本を出てから、僕は逆に愛国心が強くなった気がします。
僕は会社に希望を出して27歳で中国に赴任し、支社の立ち上げをやらせていただきました。それまで、実は中国以外の海外には1カ国(カナダ)しか行ったことがありませんでしたし、海外に興味はあまりありませんでした。海外駐在希望の人は、海外旅行好きが高じて、みたいな人が圧倒的に多いのですが、僕の場合は元々ビジネス視点での海外駐在です。
経済成長がほぼ止まった日本で、不景気の影響をイチバンに受ける広告産業、しかも自分の会社は業界No1でも2でも3でもない。広告の仕事はとても好きですが、自分のクリエィティビティも残念ながら全くもって人並み。何か人と違ったことをしないと自分の人生として勝ち目がないし、誰かに物凄く重宝してもらえない、と思い今に至っています。戦う軸をずらし、まだまだ途上ではありますが中国と広告のプロを目指すことで、このようなコラムを書く機会を与えて頂き、また沢山の企業のえらい人とも会うことが出来ます。こんな若造を訪ねて、クライアントや協力会社のTOPが訪ねてきてくれ、自分が少しだけ人の役に立っていることが実感でき、それがものすごいモチベーションになっています。
またとある人からは「ひとつの部署に長く居過ぎたらいけない、ジョブローテーションをしたほうがいいのではないか?」と言われることもありますが、僕が思っているのは、上海はただの“場所”であり、“部署”ではないということ。僕達はまだ小さい会社なので、基本的に社長(杉原44歳)と僕の2人は、営業もクリエイティブもメディアプランも採用も給与交渉も本社への中期計画も、全部2人でやります(もちろん手分けしていますが)。
そういう意味では、広告代理店でやりえる全ての業務を常にやっています。僕自身は極端なゼネラリストだと思います。基本的に広告代理店がやることは何でも出来ます。ただし、僕の課題は、各分野のレベルアップ。どれも本当に中途半端過ぎて、仮に今本社に帰ったとしても、僕を配属すべき部署がない…。クリエイティブになるには実務経験があまりに少なすぎるし、営業にしては頑固で融通が利かないし、プランナーにしてはパワーポイント技術も人並みですしエクセルはオートサムしか使えないし…。まぁ、帰ったら本社の社長になるっていう手がありますけどね(冗談です。すみません)。
僕のこれからの具体的な目標は、3つあります。一つは読広大広(上海)広告有限公司を100人以上の規模にして、社員も和気藹々で友達みたい、毎年海外に社員旅行にも行け、且つ本社がビックリするくらいの利益を稼げるようになること。
二つ目は、恥ずかしいんですが立派なクリエイティブディレクターになること。以前数回カンヌに行かせていただき、カンヌで広告の本当の面白さを知りました。会社を成り立たせるために今まで、普通にテレビCMを作ったり、撮影をしたり、カタログやPOP、Webサイトなどいろいろなものを制作して、一応世に出してきました。ただ、それらはクライアントのブリーフには沿っているものの、世の中を変えるようなアイデアのもと作られたものではありません。広告の仕事は、世の中を変えることが出来るし、どこまでもクリエイティブやアイデアを追求しなくてはダメだと正直カンヌに行くたびにメチャクチャ凹んで帰ってきます。
もちろんそんな仕事だけで会社を成り立たせることは難しいのですが、年に1つでも2つでも、そういう仕事が出来るようになれればと思っています。
最後の目標は本当に今さらですが、これからももっと海外で働くために、英語を勉強してビジネスレベルで使えるようになることです。
まとめると、僕は今後、読広大広(上海)広告有限公司を、クライアントの課題も解決でき、広告賞をとれるようなクリエイティブな会社に育て上げます。しかも子供みたいですが、大きい会社の方がカッコイイので、やはり規模も追求します。数年後には英語で、超面白いキャンペーンを企画しています! 12週間、お付き合いいただきまして、本当にどうもありがとうございました!
※連載「中国で広告一筋7年間」は今回で終了です。ご愛読ありがとうございました。
重松 俊範「中国で広告一筋7年目」バックナンバー
- 第11回 もしも自分がクライアントだったら(8/23)
- 第10回 平均に騙されない(8/9)
- 第9回 小さな会社の大きなチャンス(8/2)
- 第8回 インターネットとリアル(7/26)
- 第7回 脚マッサージ店で覚えた(!?)私の中国語勉強法(7/19)
- 第6回 仁義なき中国での弊社営業手法(7/12)
- 第5回 信頼獲得に成功した中国版SOYJOYのプロモーション(7/5)
- 第4回 大学では学べないMCBA(6/28)