アドタイをご覧の皆様、初めまして! 前回の記事で、弊社代表の澤邊より紹介を受けました百市と綿野です。
大変恐縮ではございますが、今回は、春よりワン・トゥー・テン・デザインのディレクター(見習い)として勤務しております、新入2人から見た弊社や広告についてお話しいたします。澤邊の連載を楽しみにされていた皆様には、今回はご辛抱頂き、一つ、若輩者の戯言に耳をお貸しいただければと思う次第でございます。
と、ガチガチの書き出しで僕らの緊張感を少しでもお伝えできれば幸いです。
この春から社会人になられた同期の方や、Web業界を目指している学生はもちろん、各業界の先輩方にもお楽しみいただければと思います。それでは、初めに京都勤務の百市より進めてまいります。
自己紹介と弊社紹介
初めに簡単な自己紹介をいたします。あらためまして、プランナー志望のディレクター見習いとしてワン・トゥー・テン・デザインに勤めております、百市と申します。ただ単に広告が大好きなだけの、どこにでもいる普通の広告系男子です。関西の芸術大学デザイン学科を中退し、バーでのバイトを約1年間経て今にいたります。僕の大学の同期は、現在の大学4年生にあたります。ちなみにと言ってはなんですが、僕はデザインもコーディングもできません(デザイン学科には実はスポーツ推薦で入学しました)。
ワン・トゥー・テン・デザインは、こういう人間も面白がって受け入れて、さらにはコラムまで書かせるなんともモノ好きで自由奔放な会社です。ホントにビックリです。
こんな入ったばかりのホカホカな新米が広告について語るなんぞ、おこがましいことこの上ないのですが、ここは失礼を承知で論じていきます。
広告さんを語るな!
さて、広告さんを語ろうと決意した矢先ですが、タイトルが何やら僕に忠告をくれたようです。お前ごときがそうやすやすと言葉で広告のことを語るな! と。正直に申し上げますところ、僕は広告について語りたくありません。呼び捨てするのにも気がひけるくらいです(半分冗談ですが、気持ちはそうです)。
と言いますのも、僕は広告さんが大好きな人間なので、広告さんについて語った文章が広告的でなければ気持ち悪く感じてしまうのです。ここで言う広告的というのは、僕の中では、自己言及的であることを指します。
例えば、あるプロダクトのデザインが、そのプロダクト自身を表現し、かつ使用させたくするフォルムをしているだとか、ある商品の名前が、その商品を的確に表現し、かつ購入を促すだとか(それが広告の完成形だと思っているので)がそれにあたります(例『ながーーーーーい』←私的広告的例)。
だから、今この段階で、広告を語りたくない! という文章を語ってしまっている自己矛盾な状態が気持ち悪くて仕方ないです!
ですが、その気持ち悪さを乗り越えてでも共有したいことが1つだけございますので、それを次に綴ります。
良い広告さんを育てよう!
そもそも、広告さんについてあーだこーだ言及することに、一体どれほどの意味があるのでしょう? それは、言及している人が誰かというところに左右されると思います。ツイッターやブログで簡単に情報の発信が行える今の時代でも、本質的な部分は何も変わらず、結局は、その情報発信をしている人が今まで何を成してきたかに落ち着くものです。コンテンツ(その人自身)がたいしたことなければ、それから発せられる諸々も同様にたいしたことないと思っています。
こうやって新人が偉そうに語っていたら、誰もが『お前が言うな!』『十年早いわ!』と思うでしょう。まさにそういうことです。ちょうど、童貞の方がSEXを語る様子を眺めている感じに似ているなあと思います。
ですから、僕ら新人(勝手にくくってしまった新人のみなさんすみません)の中では、ガシガシ作って、バンバン新しい・正しい・面白い広告さんを世に出すことに全力を注ぐ空気になればいいなと思います。簡単に言葉を発信できる世の中だからこそ、薄っぺらい言葉を発信することに意識を持っていかれないよう注意したいです。また、作ったものも簡単に発信できるということを念頭において、良い広告さんをたくさん放出できればと思います。技術はこれからいくらでも付けていけるので。
と、前半では『広告を語りたくない旨』を語り、後半では『語らずに作ろうぜ!』と語り、広告的でない文章を2つも綴ってしまいました。語りたくない語りたくない言ってる割に、何度も何度も書きなおして(現在締め切り当日)やっとこの文章に落ち着きました。
この記事が読者の皆さんにどう受け止められるかはわかりませんが、自分と向き合えたこと、読む人との関係性を試行錯誤できたこと、見せ方について深く考える体験をできたことが非常に勉強になりました。
こんな記事を書いた後でなんですが、非常に学ぶことが多かったので、またこのような機会がいただけたら嬉しいです。>社長
放任主義な会社なので、自分で動けば、自分の責任で行動しても良いことは承知の上での発言ですが。
さて、さんざん広告広告言ってきましたが、読者のみなさんの中には『広告』の定義があまりにも違うために理解に苦しんだ方もおられるかと思います。言葉足らずで稚拙な文章、大変失礼いたしました。
この『広告』の解釈につきましては、次の綿野が言及しております内容と全く同じです。こちらの方でご確認ただけたらと思います。
読者のみなさん、もしもお仕事ご一緒する機会がございましたら、そのときは何卒よろしくお願いいたします。一緒に良い広告を作りましょう。ありがとうございました。
(次ページヘ続く)