玄侑 宗久(作家、福島県福聚寺住職)/イラスト:田中ひろみ
「玄侑宗久さんに聞く禅についてのQ&A(4)」はこちら
Q16 禅の教えとそれを伝える役割を担う生身の人間の生き方はどこまで一致しているべきだと思われますか。または一致している必要はないのでしょうか。
A 人間を介さない単独の教えというのはあり得ないと思います。だから、本で読んだだけでは実感できませんし、実際それを身につけた人がいるからこそ修行しようと思うのではないでしょうか。完璧な人はむろんいませんが、それを目指している人がいるというだけで励まされますよ。
Q17 「これは決して禅ではないな」と強く思う瞬間はありますか。または、「禅の道に反するけれどもしなければならない」と、葛藤に陥ることはありますか。
A 多くの政治や社会の問題についての考え方までは、禅は提供してくれません。要はどう思うにせよ、思ったことを実行する際の原理に過ぎないのだと思います。日々の問題については個別に考えるしかありません。ですから、おっしゃるような葛藤はありません。
Q18 高価なブランド品を身につけ、酒食や女道楽を楽しみ、節制とは無縁に見える僧侶の存在を見聞きすることがあります。また、過去には仏教を名乗るオウム真理教が無差別テロを行ったこともありました。僧侶の守るべき節度や宗教法人のあり方について、線引き(規制)は必要(可能)と思われますか。あるいは、全日本仏教会など、業界団体として、資格のはく奪などの措置は必要(可能)だと思われますか。
A 住職資格の認定基準が、年々厳しくなっているように感じます。外部情報が遮断されるべき道場に、さまざまな道具で情報が入り込むようになったせいかもしれません。
しかし規制をどんなに強めても、必ず抜け道を見つけるのでしょうし、抜本的な解決にはならないと思います。私自身は、既成仏教宗派と新興宗教を一括りに「宗教法人」として扱うことに無理があるのではないかと考えていますが、国としてはそれも厄介すぎるのでしょうね。
ただ、僧侶の資質は、願心次第のような気がします。願心のない人に無理に後を継がせてもロクなことはないでしょう。しかし人は「刮目して見よ」というくらい変わりもしますから判断が難しい。いずれにせよ、「全日仏」などにそれほどの権限はありませんし、規制するとしても各宗派ごとになるでしょう。
玄侑 宗久(作家、福島県福聚寺住職)
1956年福島県三春町生まれ。慶應義塾大学中国文学科を卒業後、さまざまな職業を経験してから京都天龍寺専門道場に入門。三春町福聚寺の副住職をしながら書いた『中陰の花』で第125回芥川賞を受賞。花園大学国際全学科および新潟薬科大学応用生命科学部の客員教授。福島県立医科大学の経営審議委員、東京禅センター理事、東日本大震災復興構想会議委員、原発で被災した子どもたちを支援する「たまきはる福島基金」の理事長でもある。禅についてわかりやすく解説した著書多数。
イラスト:田中ひろみ
丸の内はんにゃ会代表。はんにゃ会へは創立当初から携わり、現在は3代目の代表として活動。仏像巡りから荒行まで精力的に体験している。女流仏像イラストレーター・ライターとしても活躍中。奈良市観光大使。『美しき仏像』(ぶんか社)、『田中ひろみの勝手に仏像ランキング』(メディアイランド)『クイズで入門 日本の仏像』(講談社+α文庫)など、著書多数。
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