編集の民主化の夜明け(前編)はこちら
伸びるまとめと伸びないまとめ
NAVERまとめでは日々、多くのまとめが作られていますが、同じ題材を扱っていても、閲覧数の伸びは「編集」次第で大きく変わってきます。情報をただ集めるだけでは、読者に受け入れられるものにはならない。今回はその点について具体的にお話ししたいと思います。
スマホの新機種が出ると、ある一つの機種にフォーカスして、その性能を調べたまとめがちょくちょく作られます。よく見るのは連続待受時間○○時間や画面サイズ○○inch、重さ○○gなどのスペックを並べたまとめです。情報の新しさという点では役に立つものの、残念ながら閲覧数はほとんど伸びません。
スペック情報はまとめやすいので作りがちなのですが、「連続待受時間が400時間」って言われても、ぶっちゃけよくわかりません。他の機種と比べてバッテリーが持つのかどうかを比較して初めて、その数字に意味が生まれる。読み手からすると説明は必要じゃなく、そのスマホが「買いなのかどうか」の答えになる情報が欲しいわけです。他機種との比較とか、どういうシーンで使えるとか、こういう人にはおすすめできないとか、「読み手にとってどうなのか」を意識して編集されたものが、結果として多くの人に閲覧されることになります。
プロのライターなのに伸びない!?
読み手への意識は、何を編集するかという「内容」以外の部分でも重要です。知り合いのライターさんが、まとめを作ってくれたことが何度かありますが、日頃から読み手を意識しているはずのプロのライターさんでも、初めからヒットするまとめはなかなか作れません。どうも読みづらかったり、わかりにくかったりすることが多い。僕も不思議に思って、いろいろと考えてみましたが、原因はライターとエディターという「性格の違い」にあるんじゃないかと睨んでいます。
ライターはどちらかというと「主張」する側面が強い。そこで何を語るかが重要であり、内容には徹底的にこだわりますが、レイアウトの見やすさや、文章量のバランスなどには無頓着な人が多い。読まれるものにするには、見やすさもかなり重要です。読み始めてみて少しでも「読みづらいな」と思われれば、一瞬でページを閉じられてしまいますから。
一方でエディターは「媒介」する側面が強い。どんなに素晴らしい内容でも読んでもらえないと意味がないので、読みやすさ、わかりやすさにこだわります。自身でコンテンツを生み出さない代わりに、コンテンツの魅力が最大限に伝わるよう、見せ方や伝え方を工夫するわけです(もちろんこれは優劣の問題ではなく、単なる役割の違いだと思っています。編集とはそういう性格のものであり、まとめは編集の側面が強いというだけです)。
編集の民主化の夜明け
「内容」と「見せ方」の両方で、読者を強く意識した編集ができていないと、なかなか読者に受け入れられるものは作れません。読み手が「あ、これ知りたかった」と思っていたことを適切につかみ、読み手に理解しやすい構成で届けられるかどうかが重要です。
キュレーションメディアの登場によって「編集の環境」は徐々に整い始めました。世界にはたくさんの面白い人がいて、ネットにはその人達の発信するコンテンツがあふれている。多くの人が「編集」に参加することで、埋もれていたコンテンツがより多くの人に届くようになると、世界はもっと面白くなるんじゃないかな、と思っています。
桜川和樹「100万人のメディアを潰した男、キュレーションを語る。」バックナンバー
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