コラム
企画ビジネス温故知新!『日本の企画者たち・番外編』
歴史に名を残すほどに活躍したクリエイター、企業家、ジャーナリストたちが、何を考え、どう企画したのか。モノがなく混迷を極める時代、ネットもなく生活も貧しかった時代を企画で打破した日本人がいます。そのような、総勢93人の企画者が登場する『日本の企画者たち』(宣伝会議刊)。本書の著者である岡田芳郎氏が、書籍に掲載しなかった企画者たちや、新たに書き下ろした偉人たちの企画列伝を紹介します。
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第7回
第6回・経営者にしか書けない広告
「日本の企画者たち」は、広告・メディア・コンテンツ界の礎を築いた93人の列伝です。この人たちの仕事や言葉から読者は多くのヒントや心構え、そして勇気を受け取ることでしょう。今回は、経営者の書いた広告についてご紹介しましょう。 -
第6回
第5回・「ポスターの真の意義は、商業広告を芸術化するところにある」~デザイナーたちの言葉~
杉浦非水は、日本における商業美術の先駆者、近代グラフィック・デザインの父といわれています。1927年、日本最初のデザイン誌「アフィッシュ」が発行され、その巻頭言に次の言葉を記しています。 -
第5回
第4回・とと姉ちゃんとスカートをはいた編集長 ~大橋鎮子・花森安治の生き方~
「日本の企画者たち」は、広告・メディア・コンテンツ界の礎を築いた93人の列伝です。この人たちの仕事や言葉から読者は多くのヒントや心構え、そして勇気を受け取ることでしょう。今回は番外編として、大橋鎮子・花森安治を取り上げます。 -
第4回
第3回・「広告というものは真実を表現する以外にない」~片岡敏郎の言葉~
不世出のコピーライター片岡敏郎。彼が書いたコピーの一つ、寿屋(現・サントリー)・赤玉ポートワインの「不景気か?不景気だ!赤玉ポートワインを飲んでるかネ? 飲んでない!そうだろう!」という広告は、作者・片岡敏郎と読者が一対一で対話しています。 -
第3回
第2回・日本初を連発したプロデュース企画者・藤田潔
前回は“史上最強のプロデューサー”といわれた小谷正一を紹介しましたが、今回の藤田潔(1929年~)は、名実ともに小谷正一の後を継ぐ日本の代表的プロデューサーです。 -
第2回
第1回・小谷正一(歴史に名を遺す伝説的プロデューサー)
先日発売した『日本の企画者たち』(宣伝会議刊)は、広告・メディア・コンテンツ界の礎を築いた93人の列伝です。なにしろ今日の日本をつくってきた飛びっきりの企画者たちの秘術のエッセンスが披露されていて、壮観です。読者は多くのヒントや心構えそして勇気を受け取ることでしょう。 -
第1回
【新連載コラム】企画ビジネス温故知新!『日本の企画者たち・番外編』
歴史に名を残すほどに活躍したクリエイター、企業家、ジャーナリストたちが、何を考え、どう企画したのか。モノがなく混迷を極める時代、ネットもなく生活も貧しかった時代を企画で打破した日本人がいます。
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岡田 芳郎(おかだ よしろう)
岡田 芳郎(おかだ よしろう)
1934年、東京・小石川に生れる。早稲田大学政経学部卒業後、1956年に電通入社。営業企画局次長、コーポレートアイデンティティ室長などを経て電通総研常任監査役を務め98年に退職。大阪万博「笑いのパビリオン」企画、「ゼロックス・ナレッジイン」はじめ数々の都市イベントをプロデュース。電通のCIビジネスへの取組みにリーダーとして、アサヒビール、NTT、JR、東京電力をはじめ数多くのプロジェクトを推進した。また、企業メセナ協議会の創設に尽力した。
宣伝会議より『日本の企画者たち ~広告、メディア、コンテンツビジネスの礎を築いた人々~』(2016年3月30日発売)を刊行。
1934年、東京・小石川に生れる。早稲田大学政経学部卒業後、1956年に電通入社。営業企画局次長、コーポレートアイデンティティ室長などを経て電通総研常任監査役を務め98年に退職。大阪万博「笑いのパビリオン」企画、「ゼロックス・ナレッジイン」はじめ数々の都市イベントをプロデュース。電通のCIビジネスへの取組みにリーダーとして、アサヒビール、NTT、JR、東京電力をはじめ数多くのプロジェクトを推進した。また、企業メセナ協議会の創設に尽力した。
宣伝会議より『日本の企画者たち ~広告、メディア、コンテンツビジネスの礎を築いた人々~』(2016年3月30日発売)を刊行。