コラム
「世界一ハッピーな会社」をめざして。
「コミュニケーションの力で、世の中をハッピーに。」を標ぼうし、コミュニケーション・デザインを専門とする会社「dof」。ここは新橋にある、社員わずか4名の小さな会社です。「今までの常識に捕われることなく、新しいモノを創造し続けたい」という思いを持ちながら、コミュニケーションデザイナーとして商品開発から広告キャンペまで数多くの仕事に携わってきたのが筆者です。dofならではの仕事の進め方、コミュニケーションデザインの考え方、人との付き合い方、そして仕事を通して自身が考えたことをつづっていきます。
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第12回
電通グループから独立した、本当の理由。
4月に始めさせていただいたこのコラムも今回で最終回です。いわゆるブログの類いも、ましてや本の執筆のようなこともやったことのない自分がコラムなんか書けるんだろうかと、最初は不安もありましたが、やってみると自分自身が普段考えていることの整理が出来ましたし、電通のグループ会社という立場から独立する上での覚悟のようなものが出来ました。 -
第11回
人生で一番大切なモノ。
世界広告祭(正式名称はカンヌライオンズ国際クリエイティビティ・フェスティバル)が行なわれているフランスのカンヌでこの原稿を書いています。この原稿が世に出る時には、既に全ての入賞作品が発表されていることでしょう。 -
第10回
本業以外の3つの肩書き。
『株式会社dof代表取締役社長 コミュニケーション・デザイナー』というのがボクの肩書きで、プロフィールにあるようなことを行なうのがメインの仕事ですが、実はそれ以外に3つの肩書きを持っています。2つの会社の社外取締役、そして1つのNPO法人の委員。 -
第9回
ガラパゴス日本の仕事の進めかた
海外から孤立した、ある程度規模のある日本市場でのビジネス上の最適化を図った結果「ガラパゴス化」が進んだ、という話は携帯電話やパソコンなどの製造業の世界でよく耳にする話ですが、仕事の進めかたにおいても、「ガラパゴス化」を感じることが多々あります。 -
第8回
今夜もサシ飲み。
前回、仕事をする上で一人旅をすることが大きな糧になる、というお話をさせて頂きましたが、今回は「サシ飲み」のススメです。大人数で酒を飲んで騒ぐのも楽しいですが、じっくりと深い話をするのであれば、3人でも4人でもなく、出来れば2人で行くことをおススメします。 -
第7回
一人旅のススメ。
見たり、聞いたり、経験したりといった「インプット」が多ければ多いほど、創り出せるもの、「アウトプット」の量や質が良くなるとボクは信じています。そういう意味で直接的に仕事の話ではないのですが、仕事をして行く上で、多くのモノをボク自身に与えてくれた、「旅」について今回はお話したいと思います。 -
第6回
クライアントさんとハッピーにお付き合いする2つの秘訣
仕事をしているヒトなら誰しも、クライアントさんとの付き合いかたに苦慮したことはあるはずです。みんながみんな、いいヒトばかりではありませんし、ビジネスをしている以上、思いや利害関係が相反するケースはあります。 -
第5回
その男、クリエーティブ・ディレクター。大島征夫。
なぜ電通を出て、今の会社を立上げることにしたか聞かれたら、ボクは迷わずに「大島征夫という人間が好きだったから」と答えると思います。ともかく一緒に会社を興してみたかった。そして長い時間を共に過ごし、多くのことを学び、盗みたかった。 -
第4回
ハッピーなメンバーのご紹介。
銀座線の新橋駅1番出口から徒歩20m、築40年の年期の入ったオンボロビル、そこにdofはあります。初めて来るかたはだいたい戸惑うようです。「プランニング・ブティックに行くんだ」なんて思いながら来ると、もっとスタイリッシュなイメージがあるんでしょうか。 -
第3回
ハッピーな仕事の進めかた。
今回は「dof流」の仕事の進めかたについてお話をさせていただきます。とは言っても、必ずやっているお約束事や決まりごとがあるような話ではありません。少なくとも、外資系のエージェンシーにあるような思考のプロセスや、企画作業の進めかたにルールのようなはありません。
1972 年11月24日アメリカ合衆国オハイオ州グリーブランド生まれ。 10歳までアメリカで過ごしたのち、来日。小学高学年を佐賀で、中学・高校を名古屋で過ごす。91年慶応義塾大学環境情報学部(SFC)入学(SFC2期生)。大学在学中はひたすらアメリカンフットボールと貧乏旅行(バックパッカー)に明け暮れる。大学在学中に放浪した国は30カ国以上。
95年卒業後、株式会社電通入社。
テレビ局6年、営業局4年を経て、05年にクリエイティブ・ディレクター大島征夫とともに、コミュニケーション・デザインを生業とする、株式会社 dof を設立。13年、電通グループから独立。
製品開発から、マーケティング戦略立案、メディアプランニング、クリエイティブの最終アウトプットに至るまで、 コミュニケーショントータルでの「課題解決」を主眼とした提案を得意とする。幅広い人脈を生かしてのプロデュース力、実現力にも定評があり、最近では海外案件にも精力的に取り組んでいる。
仕事を進める上でのモットーは、「コミュニケーションの力で、世の中をハッピーに。」
【主な仕事】
サントリー 「 角ハイボール」「トリスハイボール」「山崎」「白州」「天然水」「ウーロン茶」
ジェイアイエヌ「J!NS PC」「Airframe」
JR 東日本 「行くぜ、東北。」「My First Aomori」「SUICA」
江崎グリコ 「ハラペコにプリッツ!」
永谷園「生姜部」「あさげ」
資生堂 「 専科」「SUPER MiLD」
【受賞歴】
2012年 日経 MJ ヒット商品番付受賞 JINS PC ( ジェイアイエヌ )
2010 年 日経 MJ ヒット商品番付受賞 専科 ( 資生堂 )
2009 年 日経 MJ ヒット商品番付受賞 ハイボール ( サントリー )
2009 年 第二回 日本マーケティング大賞「角ハイボールのヒット ウイスキー復活にむけて」
2009 年 日本食料新聞社 食品ヒット賞受賞 「冷え知らず」さんシリーズ ( 永谷園 )
twitter:https://twitter.com/doftaro
facebook:http://www.facebook.com/doftaro
1972 年11月24日アメリカ合衆国オハイオ州グリーブランド生まれ。 10歳までアメリカで過ごしたのち、来日。小学高学年を佐賀で、中学・高校を名古屋で過ごす。91年慶応義塾大学環境情報学部(SFC)入学(SFC2期生)。大学在学中はひたすらアメリカンフットボールと貧乏旅行(バックパッカー)に明け暮れる。大学在学中に放浪した国は30カ国以上。
95年卒業後、株式会社電通入社。
テレビ局6年、営業局4年を経て、05年にクリエイティブ・ディレクター大島征夫とともに、コミュニケーション・デザインを生業とする、株式会社 dof を設立。13年、電通グループから独立。
製品開発から、マーケティング戦略立案、メディアプランニング、クリエイティブの最終アウトプットに至るまで、 コミュニケーショントータルでの「課題解決」を主眼とした提案を得意とする。幅広い人脈を生かしてのプロデュース力、実現力にも定評があり、最近では海外案件にも精力的に取り組んでいる。
仕事を進める上でのモットーは、「コミュニケーションの力で、世の中をハッピーに。」
【主な仕事】
サントリー 「 角ハイボール」「トリスハイボール」「山崎」「白州」「天然水」「ウーロン茶」
ジェイアイエヌ「J!NS PC」「Airframe」
JR 東日本 「行くぜ、東北。」「My First Aomori」「SUICA」
江崎グリコ 「ハラペコにプリッツ!」
永谷園「生姜部」「あさげ」
資生堂 「 専科」「SUPER MiLD」
【受賞歴】
2012年 日経 MJ ヒット商品番付受賞 JINS PC ( ジェイアイエヌ )
2010 年 日経 MJ ヒット商品番付受賞 専科 ( 資生堂 )
2009 年 日経 MJ ヒット商品番付受賞 ハイボール ( サントリー )
2009 年 第二回 日本マーケティング大賞「角ハイボールのヒット ウイスキー復活にむけて」
2009 年 日本食料新聞社 食品ヒット賞受賞 「冷え知らず」さんシリーズ ( 永谷園 )
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